日記

危ない危ない。誰が見てるかわからない。

おはようございます。住職です。

昨日のブログでは、少し専門的なことを綴ってみました。

そもそも、このブログは十数年前に、西照寺のHPを立ち上げる際、「ブログをやって、なるべくお坊さんの

生活がわかるような内容で、できれば更新頻度も多くしてください!」と業者さんからアドバイスを受け、

それ以降、私の日記のように綴っているものなのです。

正直、西照寺の情報発信と言ったって、そんなに頻繁にブログでUPする程の情報もないし、でも更新頻度は

頻繁が良いです!と言われるし、・・・そこで仕方が無いので、日々の私の日記のように綴ることとなって

しまいました。それから十数年。

書いている私でさえ、このブログは誰が読んでくれるんだろう?と思っていながらも、できれば西照寺を知

らない方や、私の事をあまり知らない方に見てもらえればいいな!と思う程度で内容を更新しているのです

だから、もし対象者を問われたならば、上記のような人達なのです。

しかし、現実は違うようです。

西照寺のご門徒(西照寺にお墓がある方)も、結構見てくださっているようで、チョコチョコとブログを見

てます!と仰ってくださる方がおいでです。←この皆様は、有難いことです。嬉しいけど、少し

恥ずかしいですね。私の中ではブログを見て下さる対象者として、想像していない方々だったのです。

でも結果的に、良い、嬉しいことではあります。

しかし、問題は次です。

昨日、私はブログで少し専門的な内容を綴ったら、驚くことに、大学院時代の同級生が、その内容を知って

SNSで私に個人的にメッセージをくださいました。久しぶりの友人です。

この友人は本当によく本を読み、勉強されている、今もって尊敬してしまう友人です。

僧侶とは、あのようにならないといけないはず!と、私は反省させられます。

だから、よく教えの内容や、色々な説も知っている。

どうも、そんな友人が私のブログを見ているようなのです。

ダメだって! そこは対象にしていないんだから!!!

もっとも、ブログを見て下さるのは有難いんだけど、そこは対象にしていないの!

特に私のような不出来な者のブログは見てはいけません。

この友人、昨日のブログを受けてでしょうが、アドバイスをくださいました。

アドバイスは、先生の内容は誇張されている部分もあるかもしれないので、慎重に原典も含め

見極めていくことが大事になっていきますね!との、だいたいこんな内容。

確かにその通りなのです。だから私も、先生の説を鵜呑みにしたら!との仮定を綴ったのです。

それと、この友人はさらに踏み込んで「そもそも二元論とか、どこから言われるようになったんだろう?」

と。これはブログでは綴っていない内容なのですが、綴らなかっただけで、信楽先生の主張の柱の一つが

「二元論」という問題だったわけです。

まさに的確な。こういうアドバイスはとても大事ですね。本当に友人のアドバイスの通りなのです。

今でこそ、二元論と見なしてしまいますが、それは現代の価値観からすれば、私達はそのような価値観に生

きているから、それが普通になっていますが、江戸時代は、そもそも二元論なんて言葉も発想も、なかった

かもしれません。もっと、一元論と二元論の間というのか、混在していた可能性すら私はあり得ると考えて

います。それを現代の感覚で二元論だ!と決めつけてしまうのは、やっぱり少し危険。

さすが友人。冷静です。

そのようなアドバイスを受けて、余計に勉強しないとな!と感じました。

そんな事もあって、昨日は嬉しいやら、見張られているのか!?と後ろを振り返りながら、ソワソワするや

らで、全く、うかうか軽い気持ちでブログも綴れないよ。(笑)