おはようございます。住職です。
昨日で研修会が終わりました。3日連続で、本山からの報告会(説明会)、教区の研修会と続きました。
コロナ前だと、これらは必ず築地本願寺が会場となっていたので、現地参加型だったのですが、コロナ禍
以降、リモートが一般的にも当たり前になったことで、私は3日連続自宅からZOOMでリモート参加ができ
ました。何より時間的にも体力的にも負担が大きく減ることがリモートの強み。
特に、報告会や研修会のようなものは、リモートでも問題なさそうに感じるので、私的には良い流れだと受
け止めています。
ただし、リモートの場合、懇親を深める目的や対面の必要性を感じるような場合は使えません。
懇親会だったり、面接だったり、その人全体を感じたい場面では、集合しないと駄目ですね。
例えばですが、その人その人から出ている雰囲気だったり、あると思うのです。それは必ずしも視覚から
伝わってくるとも限りません。オーラだったり、何かしら発している場合もあって、無自覚ながらも感じ取
れるものってあると思うのです。それらは画面からでは伝わり辛い。直接会うことで伝わってくるもの。
言葉にするのが難しいものですが、そのような情報交換がメインの場合は、やはりリアルでなければ
ならないと思います。あるいは同じ空間を共有することが大事な場面も同様です。
例えば、食事を共にして、同じ物を食べて感想を共有する場合であったり、現地でのスポーツ観戦で
熱気を共有することで生まれる共感だったり、現場の空気を共有することでしか生じないものだって
あると思います。これらはリモートでは無理ですね。
そう考えると、リモートが成立する場面と言うのは、現場を介さないでも通用する情報交換という側面
なのかもしれません。上記、報告会や研修会は、現場が大事なわけでもなく、先方からの情報内容を
受け取ることがメインです。この場合、聴覚だけでなく、視覚も有用となります。
コロナ以前の世間的感覚だと、音声は届けられたけど、視覚が無理だった。
それがコロナを契機として、リモートが普及し、視覚を通じても情報伝達が可能となった。
これでだいぶ私達の出来る幅が拡がることになったと私は思うのです。
私はお寺で活動をしていますが、お寺の風土って、現場主義が強いわけです。
お寺は皆さんが集まるリアルな場所であり、そこに大きな存在意義があったのです。
それをお寺のご住職などは知っているので、どうしてもお寺に人を呼び込もうとする感覚が強いのです。
お寺は、人が集まる場所で情報交換がなされ、昔はコミュニティーの中心を担っていたのだそうです。
だから、今後もそうであって欲しい!と思うお寺のご住職が多いのだろうと思うのです。
その気持ちは私もわかるのです。でも、時代がそれを許さない。
これまでの旧来のお寺では、人が集まることで情報交換ができていたのだとしたら、形を変えてあげれば
いいように私なんかは思います。つまり、人が直接現地(お寺)に集まらなくても、伝えられる情報は
あるのだろうとも思えます。そういった情報であれば、お寺で情報交換できるようなネット上の仕組みを
設けて、例えば、お寺の関係者が情報交換できるようなものを作ってしまうとか。
そうすれば、お寺を中心にネットで情報交換が可能となるのかもしれません。
私は最近、そっち方面でお寺でも出来ることがあるんじゃないかな!?と思っているのです。
そろそろ、そっち方面で新しい何かをチャレンジしてみたいなと思っているところなのです。