日記

セカセカする性格になったのは

おはようございます。住職です。

以前の予定では、明日から少し休めるはずだったのですが、ちょっとだけ予定が変わってしまいました。

明日は築地に出勤することになりました。新年度ということもあり、私も担当する業務が一部方針変更とな

ったことを受けて、少しチームで確認しておこう!と出勤することにしたのです。

そして、金曜日はようやく一日お休み。そして土日はご法事を勤めさせていただき、来週初めに築地に行っ

たら、ようやく火曜日から3連休となるはずなのです。これを待っているのです。連休が欲しい!

不思議なことですが、もうテンションは疲れ切っていたのですが、新年度となって暖かくなったことも関係

しているのか、少し気持ちが上向いてきたことは確かなのです。やる気がUP

なので、連休を迎える予定が延びてしまったのですが、少し凹みましたが、でも大丈夫! 乗り切れる!

そんな強い気持ちになっています。

振り返ってみれば、2月初めからほぼ連休なくやってきていたようなので、さすがに休みたい!と思うもの

なのですね。私は気分転換が下手なタイプだから、そこがダメなのです。ちょっとゆっくりできる環境を

いちいち作らないといけないタイプ。いわゆる面倒なタイプなのです。

昔、大学生頃までは、真逆なタイプだったのですよ。むしろ、ゆったりできていたし、何なら、いつもゆっ

たりしていたほどです。セカセカしていなかったし、むしろ、できなかった。

セカセカする人間になりたくなかったのです。それが大学4年頃から勉強に打ち込むようになって、大学院

に進学し、学を追求していくようになったら性格が変わりました。

いわゆる、大学院なんて研究を深めることに特化する領域。だからこそ、細かな部分まで追求していかない

と、研究を深めることはできません。例えば、私の専門は真宗学といって、浄土真宗の教義が専門。

しかし、その教義のバックボーンには中国仏教も関係しています。当然インド仏教も。いわゆる大乗仏教

(北伝仏教)も学ばないといけない。特に中国仏教の一部の流れの影響が非常に強くあるため、その一部の

経典も学びます。しかし、西暦500年頃のお経なので、一文字一文字の漢字の意味が、今の私達が理解して

いる意味と違う恐れがあるのです。当時の漢字の意味がどんなものだったのか?それを知るために、当時

すでに中国でも使われていた辞典を調べて、その文字の意味を把握することが必要となるのです。

その為、『説文解字』という辞典を見るのですが、中国語で書いてあるし、そもそも読めない。

そこで、しかたないから日本語に翻訳されている注を見て、私は理解していました。

でも、本来は中国語で読めたほうが、そのニュアンスもしっかり理解できるはずなのです。

少しのニュアンスの違いだけでも、研究には大きな影響を与えてくる可能性があります。

だからこそ、本来は中国語もできるようになって、厳密にやらないといけない。

そんな世界が大学院の常識なのです。

そうなると、やる領域がドンドン広がっていきます。休んでいる暇などありません。

もちろん、気分転換は大事ですが、集中しだしたらずっとやり続けてしまう。

私の場合、論文を書くにあたっても、行き詰ったら気分転換しますが、でも行き詰らない場合は

ずっとやり続けないと嫌な性格だったようで、やり続けてしまうパターンでした。

もっとも、私は研究者になろうと思っていなかったので、幅広く学ぶことはしませんでした。

いわゆる中途半端な感じですね。そもそも、研究者には興味なく、仏教が納得できるかできないか

をわかりたかったから大学院にいったわけなので。

いわゆる、私には上記のようなバックボーンがあって、それが大きく今の私の性格に影響しているのです。

柄にもなく、大学院なんかに進学したものだから、そんな環境に5年以上身をおいたことで、性格が

変わってしまったのですね。細かい部分まで気になってしまうし、セカセカする性格になってしまいまし

た。今でこそ、論文書くわけでもないのだから、ゆったりしていいはずなのです。

でもそれがなかなかできない。そこが私の一つの苦しみではありますね。(笑)

もっとも、本心から変わろうと思っていないのでしょうね。

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