おはようございます。住職です。
私には、これまでの人生で特に影響を与えてくれた先生が4人います。つまり、恩師ですね。
一昨日の事ですが、私が大学生の時、私の人生に大きな影響を与えてくれた第一番目の恩師である、
武田先生から謹呈書として、先生のご著書が送られてきました。
武田先生は、私の大学時代の指導教授です。因みに、大学院(修士・博士)でも指導教授。
先生と出会ってなければ、私は浄土真宗の教学について、あまり勉強しなかったでしょうし、お寺を継ぐか
どうかも悩むことはなかったと思われます。
武田先生と出会うまでは、恩師と呼べるような、私の人生に深すぎる影響を与えてくださった方と出会わな
かったので、そういった意味で、武田先生が第一番目の恩師となるのです。
さて、一昨日、先生から謹呈書が届いたのがこちら。

箱をあけてみると。。。

当然ながら、専門書ですよ。 第一印象「先生、書かれたんだ。スゲー!!!」
その直後の第二印象「ちょっと分厚すぎでしょ。先生、これじゃ読めないかもよ(不安)」
その分厚さが気になって、計ってみました。

本で8センチって!!! しかも専門書。 さらに武田先生の文章は難しくて内部では有名。
知識の幅が広いし、国際的で英語はペラペラ。
キリスト教神学や西洋哲学、東洋哲学にも精通してるので、こっちの知識が全然追いつかないのですね。
因みに、科学も勉強しているし、当然ながら、基礎である専門の真宗の伝統宗学も抑えています。
なので、学生時代、時に何言ってるのかわからないのです。
「ホワイトヘッドが言っているだろう」「西田(幾多郎)が言ってますね。絶対矛盾の自己同一と」
など、浄土真宗の講義を聞いているのに、「それ、誰?」と思う人の名前や単語が連発。しかも
こっちが知っていて当然とのスタンスで講義をされるので、知識が乏しい私は追いつけないのですね。
学生時代の私はよく思ってました。「どうなってんだ、この先生。モンスターなんじゃ???」
そんな訳で、懐かしい回想でしたが、先生は大学を退官された後でも、こうやって執筆活動を続けられ
人生をかけて研究者としての姿勢を見せてくださいます。
そんな先生も齢80を超えられていて、私達に対する遺言みたいなものだから!と電話で言ってくださいまし
た。
先生の質の高さを知ると、改めて、自分の出来損ないぶりと、今の自分の姿勢さえ恥ずかしくなりますね。