日記

対体験

こんにちは 住職です。

また2日ほど更新が滞りました。

この2日間、私にとって、超大変な事態となってしまい、ブログ更新どころではなかったのです。

そんな訳で、今も戦々恐々の最中であります。まぁ、仕方ない。

そんな超大変な事態の真っ只中にありながら、世間ではサッカーワールドカップが開催されています。

本来であれば、私もそっちを見ていたいのですが、今回ばかりは、事態が事態だけに、それどころでは

ないのです。

なので、ドイツ戦などは相当集中して一喜一憂したかったのですが、とてもとてもそれどころではなく。

因みに、超大変な事態といっても、誰かの健康問題などではありません。

そうではなく、ある方との信頼が崩壊しかけている状況を迎えてしまっている事態なのです。

私のレベルが低すぎるのが原因で。

ですから、私が悪いわけなのですが、もっと成長しなければいけないのです。人間的に。

本当に、生きるって大変なことですね。緊張感を持って、命がけで生きなければならないのです。

本気で生きなければなりません。甘い環境で生きていれば、隙が生じてしまうのです。

自分が甘い環境で生きていることさえ気づけず、ボケーっとしていることさえ気づけない私でしたので、

このような事態を招いたようです。そこは反省なのです。

というわけで、いつ頃からだったかな? 思い返せば、先月末だったかな? 精神的に追い込まれていた

にもかかわらず、それよりも、超ド級の追い込まれ方をしている現状です。

これまで、追い込まされていたと思っていたレベルは、まったく問題になりませんでした。

本当に追い込まれるって、こういうことなんだ!と目が覚めました。

追い込まれて、鬱になるかも!と綴ったことがあったかもしれませんが、本気の追い込まれ方を自覚すると

鬱になるどころか、生き死にになるので、目が覚めます。覚醒します。

覚醒すると、一瞬一瞬、今普通に生きて居られている、生活できている、この環境自体が有難く感じるよう

になりました。全てを失う!との危機感に直面すると、却って今の、これまで普通と思えていた生活に

猛烈な喜びと、有難さと、感謝が芽生えてくるのです。

今の境遇は、超大変な事態の真っ只中であり、今後どうなっていくのかわからない状況にあるのですが、

そんな不安な状況だからこそ、同時に今という一瞬に視線が向けられるようにもなったのです。

これは、私なりに大きな体験となりました。

普段の生活に、心の奥底から「有難さ」「喜び」を噛み締められる経験ができるなんて思いませんでした。

だからこそ、不安の真っ只中にありながら、同時に凄い経験もできていると思います。

結局、本気で生きるってこと、崖っぷちにいるってこと、死や破滅が目前に迫るってこと、

これらを前にすることで、逆にこれまであった普通の生活の有難さが、深く身に染みることとなるのです。

いつだったか、随分前に、バイクで高速を180キロでぶっ飛ばすことがやめられない!との記事を

読んだことがあります。

何でそんなことをするの?と思ったのですが、その理由を知った時、なるほど!と変な納得をしたことが

あります。それと同じ境遇に今の私はいるのです。

バイクで180キロでぶっ飛ばすと、ちょっとしたミスで死んでしまうことがわかるのだそうです。

この時、死が目前に感じられて、だからこそ、生きている実感を感じられるのだそうです。

バイクの運転手は、生きている実感を得たいから、バイクでぶっ飛ばすのだそうです。

なるほどね。と思いました。

もっとわかりやすく違う話で言うならば、美味しいものを実感したければ、より不味いものを知ることです

。美味しいものばかり食べていては、美味しいことがわからなくなります。

美味しいことを実感したいのであれば、より美味しいものを求めていては辿り着けません。

そうではなく、より不味いものを知る事です。不味いレベルが深まれば、反対の美味しいレベルの余地が

あがります。そう、この世界は相対でできている。どちらか一方だけ!というのはないのです。

私は、そのことを今、体感しているのです。