こんばんは 副住です。
今日の更新は遅くなってしまいました。
昨日、ある方からちょっと刺激をもらい、色々と考えていました。
段々と色々なことが頭の中で明確になってきています。
西照寺が進むべき方向。
どんな活動に力をいれるべきなのか。
西照寺が描くストーリー。
などなど。
ワクワクしますね。(自分で言うのもなんなのですが、ワクワクしています)
そこで、私はこれから数年、本気で西照寺の方向性の具体化に向け取り組むことに決めました。
途中で死んでしまったらごめんなさい。
でも本気なのですから、おおげさですが死んでしまっても致し方なし!と思うほどの熱意で望みます。
これまでの人生で、一度だけ本気になったことがあります。それは大学時代。
一番大嫌いだった勉強(浄土真宗という教義)に、本気で挑みました。
理由は、このまま親に引かれたレールの上を歩んでいく人生で後悔しないか不安だったからです。
人生をかけて、教義を学び、自分が納得できなかったらお寺を飛び出ようと考えたからです。
結果、納得してしまったわけで、今はお寺を継ぐことに何の違和感もありません。
親に引かれたレールであろうがなかろうが、今となってはどうでもいいこととなってしまったのですが(笑)
それまでは嫌なことから逃げてきた人生でしたが、大学生時代に初めて逃げずに立ち向かいました。
寝る時以外はすべて勉強。一日10数時間机に座ってました。
どんなに勉強しても死ぬことはありませんでした。人間そんなことでは死なないんだと思いました。
でも気持ちでは死んでもいいや!くらいの気持ちなのです。熱意なんです。
今回もそれと同じようにやってみようと思ってます。
ただ、現時点で思うことは、学生時代で本気を知った私は、
それ以後も本気に近いレベルで生きてきたように思います。
だから、今回は本気といいながらも、学生時代の時のような覚悟を改めてしなくていいような気がしてます。
因みに、本気になると弱音がでなくなります。そんなこと言ってられないから。
私がブログで弱音を綴っていたら、本気じゃなかったんだと理解してもらえればいいと思います。
明日からブログの趣旨が変わってくると思いますよ。