東京仏教学院
こんばんは 副住です。
今日は東京仏教学院の講義があり、築地本願寺に行っておりました。
先ほど帰宅しました。
今日の講義は前半が担当であったので、17時40分から19時20分までなのです。
この時間帯だと帰りも車は混んでます。
さて、明日は多摩に行ってきます。
光徳寺さまで報恩講が勤まるので、そちらに寄せていただきます。
こんばんは 副住です。
今日は東京仏教学院の講義があり、築地本願寺に行っておりました。
先ほど帰宅しました。
今日の講義は前半が担当であったので、17時40分から19時20分までなのです。
この時間帯だと帰りも車は混んでます。
さて、明日は多摩に行ってきます。
光徳寺さまで報恩講が勤まるので、そちらに寄せていただきます。
こんばんは 副住です。
喉が痛くなってきました。少し咳が出始め イガイガした感じです。
空気の乾燥が進み マスクがはなせません。
そんな中 浦和に行ってきました。講義です。2時間話していたので、さらに喉が痛くなって。
明日も講義なので 早くイガイガがなくなってくれればと思います。
こんばんは 副住です。
今日もいいお天気でしたね。私はお寺で溜まった雑務をしておりました。
本当に仕事ってたまりますね。まだ終わりません。
風邪もだんだんと喉の痛みがでてきており、嫌な感じです。
さて、今日は西照寺住職家が飼っている犬のお話です。
ラサープソという犬種のようで、昔のダライラマが飼っていた犬がそうらしいです。
チベットが舞台だった映画(確か、ブラッドピットがでていた)でも、ダライラマ法王の犬としてラサープソがでてました。
あまり有名ではなさそうな犬種ですが、そんな犬を飼ってます。
(というのも、私が通った近くの中学の正門前に、ラサープソを繁殖している家があって、たまたま見かけて可愛さのあまり飼ったとのことです)
名前はプリンといいいます。女の子です。
プリンは私が京都の大学にいくことになり、家族が減ることで、私が京都にいった直後に飼った犬です。
ですから、もう18年西照寺におります。西照寺で飼い始めたのが4月でして、その前に生まれているので
4月を迎えると19歳を超えることになります。
すでに耳は聞こえないようです。大声で名前を呼んでも振り向きもしません。
(もし、聞こえていて、無視されてたとしたら嫌な感じですね(笑))
目も見えないようです。(白くなっているので、白内障でしょう)
鼻も臭わなさそうです。
年をとりすぎて、色んな機能がおちてくるのですね。
ただ、まだ歩けます。もちろん、腰が曲がっていて、あまりまっすぐ歩けません。
同じところをクルクルと回るだけです。
たまにヨロヨロと斜めに歩いたりしております。
目が見えないのでしょう、障害物にぶつかります。
縁石につまずき横転します。横転するともう立てません。
しかし、驚くことは食欲は凄いのです。
すでに自分だけでは食べられません。鼻が効かないのでしょう、餌がどこにあるかわからないようです。
なので、餌を顔まで近づけるのです。すると突然ガッツキ始めます。
歯はほぼないので、舌で舐めてたべる。あるいは飲み込むという感じです。
生きるってこういうことなんだな。と思わされます。
近年、我が家は老犬介護をしている状況です。人間でいえば100歳前後になるのでしょうから、すごいと思います。
本当に。でも介護は疲れます。犬の介護でもこれほど労力と気を使うのですからね。
こんにちは 副住です。
風邪は相変わらずの状態です。
悪くなっていないので、このまま回復を期待してます。
さて、昨夕は築地本願寺に行ってきました。
オリックスの会長である宮内さんのお話を直接、20分程度伺いました。
とても貴重なお話で、正直勉強になりました。
やっぱり流石だなと感銘しました。
いよいよ本格的にお寺のビジョンが見えてきました。
こんにちは 副住です。
風邪は微妙に進行してそうな。留まっていそうな感じです。
母から龍角散が良いと聞き、飲み始めました。
確かに良さそうです。
無理をせず、ゆっくりしておきたいのですが、今週は予定が満です。
ただ、自宅で準備をすることも多いので、その際に安静を心がけます。
発熱とかしたら、嫌だな。そろそろインフルエンザも怖いので、マスクを常備しておこうと思います。
皆さんもお気を付けください。この季節。
こんにちは 副住です。
思いがけず、早めに風邪をひいてしまいました。
昨夜、急に鼻の奥が乾燥したようになって、鼻うがいなどをしたのですが、
朝起きたら、やはり鼻奥が痛かったです。
朝から鼻が詰まります。
こうなると、おおよそ近い内に痛みが喉の方に下降してくるのです。
おそらく、昨日電車で出かけたことで移った可能性も考えられます。
もうこの時期はマスクをしないといけませんね。
後悔先にたたずで、風邪をひいてから思うことです。
身体もダルイので、今日は気をつけてご法事を勤めさせていただこうと思います。
こんばんは 副住です。
今日は総合研究所の出向で、日本葬送文化学会が主催した
「変わる葬送文化 今なぜ「家族葬」なのか」というシンポジウムに行ってきました。
シンポジウム
会場は上野の東京国立博物館。
お寺のご法事を住職にお任せし、行ってきました。
変わりに明日のご法事を私が勤めさせていただくこととなりました。
第一回ということで、不慣れな感じがしましたが、色々と勉強になりました。
一聴講者としての感想ですが、もう少し全体的に内容が纏まっていればよかったなと思いました。
しかし、パネラーの皆様のご意見はとても貴重なもので、大変ためになりました。
来場者も300名くらいはおられたと思います。
会場が広いので、300名とは思わなかったですが、
椅子席を数えてみたら、そのくらいなっていたと思います。
普通の方も多く来られていたのだと推測してます。
今後も調査を続けていこうと思います。
こんにちは 副住です。
早稲田から入学してきた元ヤンキーの後輩とコンビを組まされてから
私達は2人で勉強したり、議論したり、時には一緒にお寺にお参りに行ったりとしていました。
先輩の私を君付けで呼ぶ年下の後輩は、凄い無礼者ではあるものの、根は素直な優等生。
顔は相変わらず無愛想ですが、時間とともになれていきました。
彼はオカちゃんといいます。
オカちゃんは浄土真宗の教えに納得したようで、僧侶の道に進むこととなりました。
ある時、得度(仏門に入る)の儀式をすることになり、西山にこもりました。
そこでは、頭を丸坊主にするのです。
しばらくして、西山から出てきた彼を見て、私は驚き震えあがりました。
もともと無愛想で怖い顔が、髪の毛が無くなったことで 目が当てられない状況に(笑)
しかし、時々見せる笑顔はとてもチャーミングでした。
その後、彼は自覚したのか、帽子を被る生活が続きました。時に、その帽子を取り上げては、後輩をいじってましたが。
さて、そんな彼も博士課程に進み、私も気づけば3年の付き合いとなっていました。
始まりがあれば終わりもある。残念ながら私は終業となり、埼玉に帰ることに。
オカちゃんとはご無沙汰となってしまいました。
その後 オカちゃんは浄土真宗の教えを通じて 知り合った女性と結婚をしました。
気づけば彼も終業の時期となっておりました。
しかし問題がありました。オカちゃんは私と違い、お寺出身者ではありません。
お寺をしたいけど、お寺がない・・・。
どうしたものか。
考えられる方法は2つ。 後継者のいないお寺に夫婦で養子に入る。
もしくは、あたらしくお寺を建てる。
色々と相談も受けました。アドバイスもしました。
彼の決断は、お寺に入寺したいという結論。
しかし、夫婦の入寺となると 対象のお寺が少ないので、ご縁が大事でした。
私も探したのですが、なかなかありません。
そんな中、数年たって、ようやく先日後輩から名古屋のある地域のお寺に入寺することになったとの吉報でした。
そのお寺のご住職は自死の問題に実践的に関わっておられる方だそうです。
オカちゃんも現代の問題について活動をしていくタイプなので、良かったなと思ってます。
ただ一つの心配ごとが・・・そのお寺は過疎化が進んでいる為、問題もあるのだとか。
色々とアドバイスや相談を通して、距離はあるけど、今後も一緒に頑張っていこうと思います。
共に頑張っていきましょう。オカちゃん!
こんばんは 副住です。
私が博士課程にすすみ 始めてのゼミがありました。たまたま私は私用で ゼミを休み北海道におりました。するとゼミを終えた一学年下の後輩から電話が入りました。「先輩、大変な後輩とコンビを組まされましたよ!」と笑いながら伝えられました。
博士と修士、合同のゼミでは、二人一組のペアを組まされ 研究を行い、ゼミで発表という流れでした。年度始めのゼミだったので、教授よりペアが発表されたのでした。
後輩の話だと、私のコンビ相手は早稲田でロシア文学を専攻してたようで、身なりもマフィアみたいな格好、だけど顔は日本人の怖い系。しかも無口で 態度も横柄っぽいよ。との事でした。
私はそれを聞いて、ゼミに行きたくなくなりました。京都に帰宅後、仕方なくコンビの後輩と待ち合わせました。会ってみると、確かに無愛想で横柄。先輩であるはずの私に いきなり「○○くん」とくんづけで呼んでくる。「なんなんだ、こいつ」と思いながら 機嫌をとるように配慮する私。その後、その後輩の生い立ちを聞いて、無愛想で横柄な性格に納得。彼は高校時代、グレてた人で、高校も中退してました。暴走族だったようです。しかし、途中で人生を考え直し 高校に入り直し猛勉強して早稲田に入ったのでした。さらにおかしな奴だと思ったことは、小さな頃より死んだらどうなるのか?と真剣に悩んでいたというのです。しかしご両親をはじめ色々な人に そのことを質問したら、死ぬことなんか考えないで ちゃんと生きなさい!と言われるばかりで、悩みに真剣に向き合ってもらえない寂しさよりグレていったとの事でした。早稲田に行ったけど、やはりその疑問は解決できず、たまたま浄土真宗の教えと出会い、龍大の大学院に入学してきたと
いうことでした。
ある意味、面倒くさそうな後輩とコンビを組むことを覚悟した瞬間でした。
続きは明日
こんにちは 副住です。
今日も相変わらず寒いですね。
予報では寒気が抜けるので、平年並みの気温に戻ると言ってましたが・・・
昨夕後輩から嬉しい報告メールをいただきました。
名古屋にあるお寺に入寺することになりました!との報告でした。
後輩は、大学院時代の後輩で、変わり者で、いいやつなのです。顔は怖いんだけど。
さて、この後輩とのエピソードを紹介する前に、私の話を少し。
私は京都の龍谷大学という大学(文学部の真宗学科)に行きました。
大学まで勉強ができず、受験も苦しみ一浪も経験してます。
ようやく大学に合格し、あとは悠々学生生活を満喫するはずでした。
しかし、たまたま大学の授業で ある教授が
「君たちはお寺の息子に生まれ、親から龍大に行け!といわれてここに来た人が多いんじゃないですか?そういう人は今すぐ大学をやめなさい」というのです。
(龍大は浄土真宗本願寺派の学問機関から派生した大学なのです)(本願寺派のお坊さんになるなら 龍大の真宗学科を勧めらる為、この学科はほとんどがお寺出身者)
私は衝撃を受けました。せっかく大学に受かったのに、この人何いってんだ!?と。ある意味笑いました。
しかし、教授は続けて「人生は一回なのだよ。やりたくもないお寺を継ぐ為、おおよそ龍大に入れと言われたんだろ?」
「そんなことよりも、やりたいことをやるべきなんじゃないんですか?」・・・
考えたこともなかった理屈に、ある意味納得もさせられました。
教授は、お寺をするなら 本当にやりたい人がやるべきなんだ!ということを言いたかったのでしょう。
この教授が後に私の指導教授となるのですが・・・
さて、その教授の講義の後、僕のやりたい事って・・・???何???
と頭の片隅につねにつきまとう事に・・・
数年後、結局やりたい事が見つからず、親やご門徒の期待を裏切ってお寺を飛び出す勇気もなく困り果てました。
そうしてある解決策を見出すのです。
それは、今与えられている お寺を継ぐという環境。これに納得できるかどうかを考えよう!と思ったのです。
そこで、これまで勉強などしたことない私でしたが、この教えは何を伝えようとしているのか?勉強してみよう!と思ったわけです。
もし、結果 教えに納得ができなければ、これはお寺をでる口実になります。住職にもご門徒にも大義名分が示せます。
そう思いながら頑張りました。これまで勉強などしたくもなかったのですが、人生(命)が掛かると変わるものです。
勉強中は専門用語ばかりの本が読めませんでした。毎日辞書をひいて、その辞書にも書いている意味がわからなくって さらに辞書をひらく。
こんなことの繰り返しから始まりました。しかし、人生がかかると不思議なものです。眠くもならないし、必死でした。大学4年生の事です。
1年間図書館に通いました。毎日最低7時間勉強しました。しかし残念ながら、私は1年間では教義の断片も理解できませんでした。
ならば、もう一年。そう思い大学院(修士)を受験しました。
大学院に進み、半年目のことです。これまで諦めずに読んできた本『中観と唯識』(長尾雅人著)に書かれてある内容に心底頷かされました。
仏教の基礎がようやく心で頷けた瞬間でした。仏教は、納得できるできないというレベルを超えたものでした。
(しかしこの本、難しすぎる。一行を理解するだけでも数時間かかったこともありました)
この感覚を伝えようとすれば、例えが悪いですが
皆様は息していることを納得しますか?と言われたらどうでしょう?
もちろん、納得するのでしょうが、より厳密に言えば、これは納得するとかしないとかではなくて、事実そのものでしょう。
仏教の言っていることは、これと似ていて、事実そのものなのです。もっというと真理。
仏教、凄いよ!凄いよ!本当に凄いよ!気持ち悪いほど凄いよ!
必然的に・・・→こんな凄いことって、伝えないといけないんじゃないの!?となるわけです。
それから、完全に仏教にはまりました。
その後、大学院の博士課程に進学します。
私が博士課程の1年生に入学した、ちょうどそのとき、修士の1年生としてゼミに入ってきた後輩がいました。
その人は早稲田大学をでて、龍谷大学の大学院(修士)に入ってきた人なのです。
続きは明日。