日記

平和ボケ 死の縁が整わないように

おはようございます。住職です。

異常事態が続いており、先が見えませんが、楽しくやってます!!!

西照寺は田舎なので、敷地も広いし、やることなんて沢山ありすぎ。

身体も動かせるし、こういった時でも全く問題ありません。

心配があるとすれば、資金ショートくらいでしょうか(笑) しかし、これは皆同じ。

さてさて、非常事態宣言が出されても、TVを見ていると出社などもあるのでしょうが、

東京でも外出している人がいますね。仕事だから仕方ない!とも思いますが、私はある意味で

疑問がでていました。 仕事といえど、なぜ外出するのか!?との疑問です。

先ほど、ネットニュース見ていたら、昨夜歌手のGACKTさんがTV出演されて、お住まいのあるインドネシア

から、日本の現況について感想を述べられたそうで、多くの人から共感があり、SNSで話題となった!と

報じられていました。ちょっと記事を貼り付けさせてもらいます。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200409-00000138-dal-ent

これを読んで今更ながら、私の「そうなんじゃないか説」がよぎったのです。

最近、非常事態宣言が出されたことに関して、店舗の休業要請があったりします。

しかし、休業させるなら、保証とセットだろ!との意見が沢山ありました。確かに!と思う部分はあるので

すが、この議論が展開されてきて「保証がないから休業できないんだよ!」という意見が当然のように

だされてきている印象です。私はここに若干の違和感をもっているのです。

もちろん、その意見の一部には納得しているんですよ。

私が違和感を感じていた部分は、保証がない⇒収入が無くなるから休業できない⇒休業できないのは仕方な

い、という論調。この論調は、休業しないお店があるから、外出する人だっている!という暗黙の構造を

成立させてしまっていると思えるのです。私はこれまで、何となく変だな!?と違和感を感じてました。

それがGACKTさんの記事を読んで、ようやくスッキリできたように思えたのです。

今、日本の中でも自粛している方が大半だと思っています。それは、やはりこのウイルスに命の恐怖を感じ

られているからだと思うのです。もちろん、志村さんの件が大きかったと推察。

そして、自分だけでなく大切な周りの方の命まで奪うかもしれない恐怖を、きちんと感じているからだと

思うのです。自分と周りの大切な方の命の問題となれば、大抵は、収入の問題よりも命の問題を取るの

だろうと、私は個人的に思っています。(ただし、仕事に命をかけている!という場合は、仕事を優先する

姿勢には理解ができます。自分と大切な人の命をかけて、仕事をしている!というのは、もはや命と同等)

しかし、収入の問題を第一に持ち出してきてしまう人たちがいるのです。もちろん、収入は大事です。

収入は大事なのですが、それを第一に考える人達は、たぶんですが、命の危機になってないんじゃない

か!?と思うようになりました。自分は死なないと思ってる。まだ命の問題になってないと。

あるいは、周りに大切な人がいない!とか。大切な人は死なない!と思っているとか。

それらを「平和ボケ」とか言われてますが、もしかしたら、本当にそうなのかも。

日本は世界と比べて、これまで「死」を見せない。「死」を見ないで済むような環境が続いてきたのです。

もちろん、自然災害で多くの死者は出してますが、「死」の生々しい映像などを見せない。

病院でも、死者は裏口から出されます。こうなってくると、死が身近に感じられなくなる。

これらの環境が今、世界から「狂ってる!」と思われている日本人の行動となって表出している可能性を

感じています。私は僧侶なので、死者をよく見ます。仏教を学び、生死について考える機会が多いです。

生き物は縁が整えば「死」にます。「死」は身近にあります。私たちはたまたま今「生」きているだけ。

とっても脆いものです。それが頷ける人は、例えばですが、僧侶がよく説法する「一期一会!」とか、

「毎日は当たり前じゃないんですよ!今に感謝して生きましょう!」と聞けば、「あぁ、そうだな」と思え

る人です。自分なりに、振り返ってみてください。このような人は結構多いように、私は思っています。

それらの人は普段から「死」がそのようなものと知っているので、危機意識が持てるのかもしれません。

しかし、「死」を見せてこなかった日本の環境は、稀に正しく「死」を畏怖できない人を作ってしまった可

能性が高い。まさに「平和ボケ」。

もし、「死」なないのであれば、当然収入は大事です。

でも、もし死ぬのであれば、収入なんて不要でしょう。死んでお金はもっていけないし。

収入を第一に考えるということは、生きていることが前提なのです。

今、保証だろ!保証だろ!と声高に意見する人がいますが、それは生きていることが前提となっての話で

す。生きていることが前提なのだから、保証!保証!となるのです。

今は死の危険性が迫っている。多くの人に「死」の縁が整う環境となりつつある。

保証がないから外出するのは仕方がない!という意見は、結果的に多くの人に「死」の縁が整う環境を生ん

でしまっている!ということになるのです。

そうではない。私達は今、保証の前の状況にあるのです。

今は「死ぬな」「死なないでください」の状況だろうと思うのです。そして、多くの人に「死」の縁が整わ

ないよう配慮することが必要なことなのだろうと、私は思います。

ようやく、死の縁が整う環境を抜け出せたら、今度は保証の番です。生きることが見えてくるから。

その時は、迅速な対応が求められると思います。

時に、収入がなければ、死ぬ! 同じじゃないか! との反論があるかもしれません。

そのような方は、今、食べることに難儀が生じてる。 そこには、30万の給付金があるそうだし、

生活保護費として得られる場合もあると思います。あるいは、他の方の支えが大事となります。

幸い、今の日本では、餓死者はさほどおられません。

そう考えると、やはり今は保証よりも、死なない環境を整えることだと思います。