12月の墓所ご案内会 12/14
12月の墓所ご案内会は、12月14日におこないます。
(毎月基本第2・第4日曜に開催しております)
9:00~14:00 大谷浄苑入口(山門近く)のご案内事務所へお越し下さいませ。
12月の墓所ご案内会は、12月14日におこないます。
(毎月基本第2・第4日曜に開催しております)
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おはようございます。副住です。
おめでとうございます。昨晩、埼玉県 小川町と東秩父村の細川和紙が無形文化遺産に登録されました。
小川町は西照寺から車で15分~20分くらいの場所にあります。近くです。
地理的な話ですが、東松山市を囲むように、町村がいくつもあって(これらを比企郡といいます)、昔から東松山を中心に纏まっていたようです。
東松山は昔から栄えていた宿場町のような感じなのだと思います。お城があったから。松山城という。
(因みに、松山城があったことから、東松山市民は未だに、地元を松山と呼称します。
明治期に廃藩置県の流れで市を作ることとなった際、政府に名称を松山市にしてくださいと申請したのだそうです。しかし、そのちょっと前に、愛媛から松山市の申請があったようで、
通らず、愛媛の松山市よりも東にあるのだから、東松山にしたら!と言われ、それで東松山市になったのだとか。そんな説もあります。もっときちんと決めてよ!と思ってしまいます)
さて、そんなことで東松山を中心に、今でも比企広域組合をつくって活動しております。
比企広域市町村組合
小川町も東秩父村も比企広域市町村組合の一部なのです。ですから細川和紙の無形文化遺産登録は、けっこう身近な感じの喜びです。
和紙を活かして、町おこし・村おこしをしてほしいものです。
さて、昨日の続きです。
「ふん切りのつけ方」は相当に大事だと思います。「ふん切りのつけ方」とは、換言すれば起きた出来事に対し、どのように「受け入れる」か。ということだと思います。
ただし、「受け入れ」方次第では、現実は前に進んでいるのに、本人は後ろに進んでいってしまうことだってありえると思います。もちろん、それが悪いことだとは思いませんが、苦しみを深める方向であろうとは思います。
この世界では、私たちの「想定内の出来事」と「想定外の出来事」があるのだろうと思います。「想定内の出来事」であれば、比較的スムーズに「受け入れる」ことができるでしょう。しかし、問題は「想定外の出来事」です。「想定外の出来事」を「受け入れる」ことは難しい。「想定外」ということは、私の想定(理解)を超えているわけですから。そもそも想定していなかったものを、どう受け入れたらいいのか わからなくなります。どう受け入れたらいいのか解らないと、受け入れない場合もでてくるでしょう。
一方で、どう受け入れたらいいのか解らないけれども、受け入れようとされる方もおられるでしょう。きっとこの時、最大の頼りとなるものが、これまでの自分の生き方であろうと思います。性格や経験則など。だからこそ、人それぞれ受け止め方には違いがでてくるし、受け止め方に正解があるわけでもないのだろうと思います。
私は、私たちには「想定外」はあって当然だと思います。大切なのは「想定外の出来事」が我が身に起こらない時でも、「想定外」を意識した人生を歩むことであろうと思うのです。(「想定外」を意識するとなると、すでにそれは「想定内」に入ってしまうかもしれませんね。(笑))
よくよく私の足元を振り返ってみると、「想定外」は沢山あります。例えば、この世界に私が生まれてきたこと。「想定外」ですよね。両親の子供として生まれ、いろんな人と関係を持って今日まで育ってきたこと。これも「想定外」。生まれてきたからには、いつかは死にます。でもいつ死ぬかということまでは「想定外」。私がいつ病気になるのか?ということも「想定外」。
すでに訪れた「想定外」も、これから我が身に起こりうる「想定外」も、足元を見れば、沢山の「想定外」があるのです。しかし、私たちはそのことを考えません。(考えないから「想定外」なのですが。・・・)ただ、これらのことを意識して生活することは、とても大事なことだと思います。私がこの世界に生まれてこられた訳、ここまで生きてこられた訳、これらの「想定外」に納得ができる人生(意識できる人生)を歩んでいるのか、いないのか、これは大きな違いです。生き様の違い。足元の「想定外」に納得ができる人生を歩むものであれば、おそらく感謝の人生がひらけるのだろうと思います。いつ死んでも大丈夫という生き様がひらけてくるのだろうなと思います。(もちろん死にたくはないのですが)
しかし、納得ができない(考えもしない)まま日々を送っているものには、命への感謝の想いが、前者に比べて、もしかしたら浅くなりそうな気もします。もちろん「死」が受け入れられない、どう受け入れたらいいのかわからない、そんな人生がひらけてくるのだろうと思います。
足元にある「想定外」(生まれてきた訳など)に、1つの道を示してくれるのが宗教です。私たちは「想定内」のことは、自分の力で何とかできるように思えますが、「想定外」のこととなると、自分の力などではどうしようもありません。あまりに非力だからです。だからこそ、宗教の力が大切です。宗教には、私を超える力があります。(あやしい力ではありませんよ、誤解しないでください) 私を超える力があるからこそ、「想定外」に道を示せるのです。
宗教が生き様にある人とない人、両者、人それぞれの生き様がありますが、「想定外」に触れたとき、それぞれの生き様からひらかれてくる「受け止め方」に違いがでてくるでしょう。私はそんな時、可能であれば前を向いて進んでいきたい。
おはようございます。副住です。
昨日から雨が降り続いていますね。早朝はだいぶ雨が降っていました。
今は小雨になってきてますが、今日も一日中雨との予報です。
この季節は、雨が降れば日に日に寒さが厳しくなっていくように感じられます。
風邪などをひかないように注意したいものです。
昨年の今頃は長野(白馬)ではすでに積雪が観測されていたようです。
今年はまだ降っていないようですが、間もなくかもしれません。
白馬は豪雪地帯ですし、積雪が始まると片付けなどが進まないでしょうから、被災された方々のご不安は、はかりしれません。
しかし、今年は御岳山の噴火や長野の地震など、積雪が始まる直前に天災が起こりましたね。
御岳山では未だ行方不明の方々が数人おられるとのことですが、山頂に積雪が始まった為、捜索が中断してしまいました。
白馬村でも積雪が始まってしまうと、倒壊した家などの片付けが中断してしまうかもしれません。
いずれも中断してしまうことによって、「気持ちの整理」に余計に時間がかかってしまうということに繋がるでしょう。
ただでさえ、気持ちの整理がつき辛い状況であるのに、行方不明のままの状況や倒壊した家がそのままの状況であるということは、何だか「ふん切り」がつけられないで
時間だけが流れていくという、想像もしたくないほどの辛い状況だろうと思います。
そう考えると、「ふん切り」をつけられるということは大切ですね。
「ふん切り」がつけられることで、少しでも前を向けるような気がします。
では、「ふん切り」はいつつけられるのでしょうか?
そう考えてみると、おそらくですが、起きた状況を受け入れた時なのではないか と思います。
例えば、行方不明の方の場合だったならば、その方の安否(生存)の姿の確認。倒壊した家の場合だったならば、倒壊した家の撤去。
そのような現実に触れるとき、受け入れざるを得ない状況となるような気がします。(もちろん、受け入れたくない気持ちとの凄まじい葛藤があると思います)
その状況になってこそ、次の「ふん切り」へと進める可能性がでてくるのではないのかなと思います。
ただし、「ふん切り」も「ふん切りのつけ方」が相当に大事となるだろうなと思います。
(長くなるので、続きは明日にしておきます)
おはようございます。副住です。
登山から二日目。筋肉痛が酷くなってくる日だと予想してました。
一日目とあまり変わりませんが、ふくらはぎの部分(特にふくらはぎの下部分)に違和感を感じます。
まさにアキレス腱を伸ばす時に、ものすごい違和感を覚えます。筋肉痛の痛みです。
昨日のご法事では、法要を終え、正座から立ち上がる瞬間、同所にものすごい違和感を覚えました。
ふくらはぎの筋肉痛は正座に響きます。アキレス腱が切れるかと思ったほどでした。
さて、今日は法務がございません。(明日からは法務が詰まっております)
たまった雑務をこなすことと、しっかり足を休める為に利用しようと思っています。
こんにちは 副住です。
今日は先ほどまでご法事を勤めておりました。
ここ数週間、いろいろあって大変です。
そんな最中、一ヶ月前から妻と妹が計画していた高尾山登山が開催されました。
この企画は、9月に行った「出会いパーティー」の続きのものです。
9月に西照寺の行事に参加してくださった若者に声をかけ、登山にて親睦を図ろうと計画したもの。
しかし、当初の予測よりも参加者が集まらず(仕事など)、7名での登山となってしまいました。
私も急遽運転手として参加させられることとなり、気持ち的にも乗り気ではありませんでしたが、参加をすることとなりました。
お寺ではご法事があったのですが、なぜか、住職が「私に任せて、いってきなさい!」となって・・・
そこで、朝から車で八王子へ。
(圏央道で高尾山まで高速でいけるのですが、すでに8時半の時点で高尾山出口渋滞中となっておりました)
八王子駅で車を駐車し、そこから電車へ(中央線で高尾駅、そこから京王線に乗り換えて高尾山入口まで)

この写真は高尾山口駅で降りた方々の様子。
ホームから駅の階段を降りようとすると

あまりの人の多さに、おもわず写真を撮ってしまいました。
その後、高尾山に登るのですが、人が多すぎて大変。
トイレも数十分待ち。
用意を整え、山登り開始です。

高尾山に登るには、いくつかルートがありました。
麓から中腹までは、ケーブルカーやリフトも出ています。
しかし、チケットを買うのに、大行列ができていたので、麓から山頂まで歩いて登ることに。
地図にでている1号路を選んで登ることにしました。
聞いた話(TVなどで)では、高尾山は登山初心者に適当などと聞いていたので、ハイキング的な発想で望みました。
すると、出だしから急な坂がずーと続いています。
本当に急な坂で、前かがみにならないと歩けないくらい。
路面は舗装されてましたが、数百メートルも、そんな坂を歩き、出だしで足腰に悲鳴が・・・
ゆっくりと歩きながらも息切れをし、汗をかきながら、なんとか中腹へ。
中腹では、リフトなどが到着する場所で、トイレなどもあります。
トイレに40分ほど並び、休憩をとって、再び山頂をめざします。
中腹からのルートは4号路。
この道は山の裾野を巡っていくコースで、路面は土です。人が二人すれ違えるくらいの幅で、一方は山の斜面に、もう一方は崖です。
坂はさほど急ではありません。ただし、木の根がいたるところにでているので、躓くことに要注意です。
途中でお昼休憩をし、さらに登ります。
登っていくと、途中で分岐があって「いろはの森コース」に入って、山頂へ到着しました。
ただし、この「いろはの森コース」が大変で、すでに疲れている足腰に、見上げるほどの階段という難所でした。
階段は木できちんと整備されているのですが、数十段あって、流石に皆が悲鳴をあげました。
多難を乗り越え、「いろはの森」を抜けると、山頂へ到達。
山頂もすごい人


このお二人は西照寺とは関係ありません。たまたま写ってしまいました。ごめんなさい。

私たちが通ったルートでは、紅葉を楽しむことはできませんでした。
あまり色づいていないというか、紅葉してなかったのです。
山頂では、多少紅葉が見れましたが、それでも西照寺の方が綺麗でした。
山頂で、休憩をとって、下山をしてきました。
気分的には乗り気ではありませんでしたが、登ってみると、ワイワイしながら、気分転換ができました。
それにしても、高尾山は初心者に適当って・・・そんなことはないと思いました。(もちろん、体力的にです)
ただし、登山道などの整備はされています。
私は以前、富士山に登ったこともあるのですが、(登山歴はその一度だけ)
高尾山も、それなりに厳しかったです。
もちろん、富士山のように時間はかかりませんし、数時間で行って帰ってこれますが、
甘く見てはいけません。
とっても疲れて、今日は足腰がギクシャクしています。
明日、明後日と酷くなっていくものと思います。
頑張りましょう!
こんばんは 副住です。
今日は土曜日ですが、朝から地域の廃品回収がありました。
まず、地区毎の集会場に、新聞紙や雑誌、衣服やダンボールが集められます。
集められたそれぞれの物を、地区の担当者が車をだし、小雨学校まで運びます。
西照寺には、軽トラックがあるので、私が毎年駆り出されます。
軽トラックを運転し、地区の集会場に7時半に到着。
すでに山積みされた新聞紙などをトラックに乗せたのですが、沢山ありすぎます。
そこで、軽トラックの荷台の三方にベニア板を立てかけ、積載物が落ちないように準備し、
載せられるだけ、新聞紙などを山積みしたのです。
載せ方が悪かったのか、最終的に軽トラックは傾いてしまいました。(笑)
これ以上乗せられないので、傾いた軽トラを運転し、小学校まで向かいました。
すると、40キロまでスピードをあげると、荷物が重たかったのでしょう、車輪が右往左往。
危ないのでスピードを落とし、農道を選んで、ゆっくり走っていきました。
もしかしたら、過積載だったかもしれません。
いや、きっとそんなことはないでしょう。過積載ではなかったと思います。
小学校に到着するや、待ち構えていた方々が、荷台から次々と荷物を降ろしてくださいました。
それぞれ専用の大きな回収箱が設置されていて、新聞紙や雑誌など仕分けをされながら、定位置に降ろされました。
一年に一度の廃品回収。来年も軽トラださなきゃいけなさそうです。
ここら辺は田舎だから、軽トラの所有率は高そうに思いますが、若い方々は農業をしなくなっているし、
軽トラはあまり持っていないようです。
西照寺のも含め、地区で車を3台手配していたそうですが、西照寺の軽トラ以外は普通の車。
トランクに古紙など載せても、載せられる量は知れています。
それを考えると、やっぱり軽トラ凄い!と思ってしまいました。
こんにちは 副住です。
今日は午後から講習会があります。
私たちお寺の者が、デジタル看板の文字創作などをするために、講習を受けるのです。
西照寺のほとんどの者がアナログ人間であり、デジタル化についていけておりません。
そんな中でのデジタル看板文字創作講習会。不安しかありません。
講習を受けても、上手くできるのだろうか?
講習の内容をビデオ録画しておこうと思っています。
講習は1度きりなので、集中と記憶が大事です。
ああ、もうお昼が近づいてきました。そろそろだ。
頑張って受講しようと思います。
こんにちは 副住です。
今日は本当に寒い1日でした。
さすがに、ヒートテックのスパッツを履いてしまいました。
空気も乾燥しているし、風邪をひかないように気をつけたいものです。
さて、西照寺では雨が降り始めてきました。
小雨ですが、寒い日が余計に寒く感じられます。
もう寒くならないで欲しい。(>人<;)
さて、今、電話がかかってきて、急なことですが、明日、東京仏教学院の講義をお願いされました。
後半の講義で、時間は19時半~21時10分まで。
ちょうど28日に私の講義が入っていたので、その分と交代だそうです。それはちょっと有難い。
28日は西照寺の報恩講なので、できれば講義日の変更をお願いしたい気持ちだったからです。
でも、明日の講義だから、今から予習をしなくっちゃ!!
こんにちは 副住です。
昨日はご葬儀の為、朝から自宅を出発。
ご葬儀を終え、そのまま築地へ。
築地本願寺で着替えを終え、そのまま浜離宮朝日ホールで落語の会の準備。
本番を終え、帰宅してきたのが、22時半頃。
疲れていたので、そのまま食事・お風呂を終え、23時半頃就寝してしまいました。
就寝前に、高倉健さんがお亡くなりになったとTVで知り、驚きながら就寝しました。
昨日の落語では、柳家さん喬師匠の噺を生で聞きました。
素晴らしいですね。
お噺だけなのに、鮮明に情景が思い浮かべられるのです。
また、お顔から滲み出る雰囲気も手伝ってか、噺にのめりこめるのです。
感服いたしました。
控え室で師匠と共に過ごさせていただきましたが、その際、色々とお話を伺えました。
どれも興味深いことばかり。
私はその後、対談だったのですが、対談のことよりも、師匠の話に興味津々。
その為か、対談にまったく緊張感のないまま突入してしまいました。
対談は、正直、纏まりがない感じとなってしまい、対談の難しさを痛感してしまうこととなってしまったのですが。
昨日の学びは、まったく緊張しないというのもいけないものだったということ。
本番では適度な緊張感を持たないといけないようです。
私はもちろん緊張するのですが、これまでの経験によって、緊張に呑まれると力が発揮できないことを学んでいました。
その為、緊張に呑まれないことが大事だと思い、昨日は緊張しないように平常心を心がけました。
(最近メンタルトレーニングというのか、自分で少し緊張をコントロールできるようになってきたように思います。)
昨日の対談では、まったく緊張感がなく、むしろ冷静すぎ。冷静すぎて、対談の内容に入り込めなかったようです。
冷静だったので、周りがとても見えてしまいました。だから余計なことを考えてしまった。
対談中、「この話の展開は難しいのでは?専門的すぎないか?」 「もう少し一般的な「あるある系」の話を聞いてみた方が皆さん聞きやすいかも」などと余計な思案をしてしまったのです。
きっと、対談では 余計なことを気にせず、お相手の話にのめり込んでいく方がよかったのかもしれないと反省をしました。
そこをもってすると、緊張に呑まれないくらいの適度な緊張感でもって、お相手の話に呑めりこんでいく集中力が大切なのであろうと反省しました。
きっと集中力は適度な緊張感によってもたらされるのだろうと今では思えます。
次からは、特に大事な場面では、適度な緊張感を保ちながら、内容に集中していく状態をつくりあげることが理想であると学びました。
また、対談の難しさでしょうか?それとも私が悪かったのでしょうか? 対談では結論がでないというか、纏まらないというか。
個人的には 結論がでないというのが、とっても納得できないモヤモヤした気持ちとなります。
さて、昨日の振り返りはここで止めておきますが、昨夜 稲城選恵和上(イナギセンエ ワジョウ)がご往生されました。
稲城和上は浄土真宗本願寺派の勧学(カンガク)でした。簡単に言うと、教義に精通している方が拝命される最高位。勧学の位の方を尊称を込めて、和上(ワジョウ)さんとお呼びしてます。
私は学生時代、稲城和上の本にとてもお世話になりました。特にお世話になった本がこちら

特に右側の本「法蔵菩薩論」名著です。(絶版なので、古書でしか入手できません)
古本屋さんで数万円しました。(私にとっては、お金では変えられない価値がありました)
稲城和上は、私の中では浄土真宗の教義の巨星というか、生きる伝説のようなお方でした。
法蔵菩薩論の最終ページの筆者紹介の所に、稲城和上のお生まれ年が大正6年とあるので、100歳近いお年だろうと思います。
個人的にですが、何か大きなものを失ったような想いです。
高倉健さんの訃報も手伝ってか、1つの時代が終わったというか、そんな感じがするこの頃です。