おはようございます。住職です。
数日前の続きというか、武士社会が終わりを迎え、明治になって日本は近代化に向かいました。
当然、武士の時代が終わりを迎えることとなったので、廃刀となりました。
長らく武士の精神そのものであった日本刀。
日本刀は、数百年続いた日本の武士社会の象徴ですから、換言するなら、日本人の歴史そのものであった
可能性があるのです。つまり、日本刀が日本文化や日本人の精神に影響を与え続けていた時代が、武士社会
だったわけです。そのような角度から見ると、例え茶道。これも武士の精神と通じています。武士道には茶
道の精神性が重要だったわけです。また、昔は家社会です。武士は、家を代表するつもりで常に行動をして
いたわけでしょう。ですからきっと、武士の精神には、家の者を守る! あるいは、仕えてくれる皆を守る
!というような、いわゆる連帯性が強かったものと思われます。だからこそ、家を守る為、家の名誉を守る
為、切腹だってしなきゃならない時代だったと思われます。きっと、一族意識も強かったのでしょう。
もしかしたら、今よりもよっぽど我が身を省みる生活を遂げていた可能性があると、私は思います。
そのような意味で、今よりも精神的に強かった可能性があるのではないか!?と私は思っています。
武士はいつ朽ち果てるかわかりません。いつでも命がけ。そんな環境だったのではないか!?と
想像します。いつでも命がけ!の社会であれば、その社会で発展するのは、緊張感をもった文化。
一瞬の命の鼓動というか、そのような瞬間瞬間を感じる目線で、文化が華咲くのだろうと想像します。
代表的なものこそ、茶道や和歌、あるいは寺院の隆盛だったのだと思われます。
つまり、武士社会は、いつでも命がけを意識する必要があって、それが為に諸行無常を感じやすい
文化が隆盛したのだと思うのです。茶道の一服は一瞬の至福の時であり、その一瞬に全てが凝縮されて
いるかのような。それを茶道全体で、お茶碗や茶室、掛け軸などの備品を通じて、さらに一連の作法による
すべてのコーディネートによって、その一服が生まれる。これを楽しくのが、きっと茶道なのだと思ってま
す。私、茶道やったことないけど。 また、和歌は内容をみると、一瞬一瞬の変化や心持が表現されている
ことが多いと思います。しかも心持といっても、自分を通さないで、自分の心を表現しようとする。
全体の雰囲気というか情景に、自分の心をのっけて表現するのです。ここも日本文化の特質だと思います。
寺院は仏教ですからね。諸行無常を説く場所ですから、そのような時代では象徴的な場所です。
このような文化が、日本では確認できます。しかし、いずれも武士社会が終焉を迎えたことで、一変する
ことになってしまいました。当然ですね。価値観が変化したのだから。
私達日本人は、この変化によって、本当に大事なものを失ってしまった可能性が高いです。
失ったというよりも、見ないようにしている可能性の方が大きい。
それをひしひしと感じるこの頃となってます。
明日は、何を見なくなってしまったのか、続きを・・・