こんばんは。住職です。
昨日の続きとなります。
そもそも、日本のお寺の発祥は、聖徳太子の時代でした。そこには、お寺の役割として、
人々の苦しみに応対する機能があったのです。
その後日本に仏教が色濃く根付く時代が、平安時代。
空海様や最澄様(以下、敬称略)が登場した時代です。
700年代後半頃でしょうか。
この頃になると、比叡山や高野山などにお寺が建てられます。
比叡山では延暦寺(天台宗)が、高野山には金剛峯寺(真言宗)が建てられます。
私の理解では、この頃からお寺は人里離れた山の中に建てられていくこととなります。
これには理由があって、人里にお寺があると、欲望の刺激が沢山でてきます。
例えば、女性を目にする機会がでてきてしまいます。食事に関心を奪われえる機会もでてくるでしょう。
世間の騒音に気が散る機会もでてきます。
これら、人里にお寺があると、お寺で修行する僧侶の気が散ります。修行に相応しい環境ではないのです。
だから、人里離れた山の中にお寺を建て、僧侶が修行に専念できる環境を求めることとなっていきました。
最澄や空海は、中国から仏教を日本に持ち込み、戒律や修行という面を強調することとなったわけです。
ここが聖徳太子の時代と異なる点です。
聖徳太子の時代は、日本に仏教が入ってきたのですが、まだ戒律や修行という側面が強くなかった。
仏教の教えは入ってきたけれど、戒律を守る!修行をする!という実践面はまだ強くなかったのだろうと思
われます。
ですから聖徳太子の時代は、教えに基づいた苦しみへの応対に、お寺としての役割が用いられたのだと思わ
れます。
しかし、最澄や空海以降、鎌倉時代までは戒律や修行の側面がお寺の役割に強く影響を及ぼしてくるので
す。