こんばんは 住職です。
今日はお彼岸の中日です。秋分の日。西照寺では、お彼岸の大法要を勤めました。
コロナ禍となって始めて、本堂内に椅子を設けて着座できる形で行いました。
もちろん、距離をあけて椅子を設けた為、人数制限となりましたし、扇風機などを利用し換気に注意を払い
徹底できたと思います。マスク着用に、手消毒、体温測定なども行いました。
ご参拝の皆様は大きな声も出さないので、大丈夫でしょう。
さて、昨日の続きですが、今日はぶっちゃけトークをしてみます。
昨日、お寺の山号の意味を綴りましたが、お寺の中には、本来の山号の意味ではなく付けられている山号も
あります。
言わなくてもいい事ですが、西照寺の山号がそれです。
西照寺の山号は雲龍山とつけています。しかし、そんな山はありません。
先代住職が勝手につけたものです。(笑)
因みに、山号は勝手につけてもいいのです。国などの正式な登記名称には、だいたい山号までは登録されて
いないからです。勝手に言っているくらいの感覚です。
そもそも山号の意味は、住所の役割でつけていたものですので、古くからある(1000年位前からある)由緒
正しいお寺には普通についているものなのです。
しかし、もっと新しいお寺。つまり300年以内の歴史のお寺であれば、お寺業界からすれば、新しいお寺な
のですが、そんなお寺には山号はないのが普通です。
その頃になると、山が住所の意味合いを表すことも無くなってきたからだと思われます。
しかし、お寺の世界の中では、古くからあるお寺には山号があって、山号があることが、ブランドみたいな
感覚があるのですね。
ですから、お寺業界の中には、今でも山号があるのは由緒あるお寺なんだ!みたいな、不思議な感覚がある
ので、新しくお寺を創建した住職は、意味もわからない山号を付けたがるのですね。
こんな事をされると、一般の人からすると、山号の本来の意味がわからなくなるのですね。
その果てに、逆にお寺の僧侶でさえ、山号の本来の意味を知らない人は結構多いのだろうと思います。
僧侶もわからないから、勝手に山号を付けてしまう!という状態になってしまうのでしょう。
この場合、山号の謂れは、何となくの感覚で付けているのだろうと思われます。
ですから、皆さんもそれぞれのお寺の山号を意識してみてください。
全然聞いたことない山号であれば、本来の山号の意味から逸脱したものだと思われます。
因みに、西照寺であれば、ここは大谷という地名があるので、大谷は山ではないけれど、山号をもしつける
とするならば、大谷山とつけるべきでしょう。
私が住職の間に、可能であれば大谷山と山号を改めようかと思っているほどです。
なぜ、すぐにやらないのか!?と言われると、先代住職がすでにパンフレットなどに雲龍山と明記して
しまっているからなのです。そうすると、変更したとしても全てを直さないといけないので、影響が大き
い。( ;∀;)