こんにちは 住職です。
私は45歳になるのですが、そんな年齢で人生を語れるほど、達観しているわけではありませんが、
45年を生きてきた中で、思うこともあります。
それは、人生、思ってもいない事が起こる!という事です。全然想像もしない出来事に遭遇します。
それは、良い意味でも、悪い意味でもです。(ここでの良い悪いは、私にとって都合の良い悪いの意味)
悪い意味で言えば、全然想定してもいないし、自分で求めてもないのに、向こうから突然苦労がやってくる
イメージです。その苦労も、ちょっとしたものであれば、受け入れられますし、乗り越えることもできます
。でも、乗り越えられるのかどうかもわからない、むしろ、乗り越えられなさそう!と思ってしまう程の
出来事が来るときもあるのです。
問題を解決しようと数か月も努力した結果、さらに悪い事態に発展してしまう!という経験もあります。
解決する為には、間違いないことを伝えようとするのですが、そもそも考えてみれば、私という人間は間違
いだらけなのに、普通の生活をしている時は、そんな当たり前の事さえ忘れてしまい、自分は間違いない!
と思ってしまうのですね。
例えばですが、スーパーで普通に買い物をします。レジでお金を払ってお店をでます。
すると、「万引きしませんでしたか?」とGメン(スーパーの万引き警戒人)に呼び止められたとします。
私はそもそも万引きしようなどと思ってもいないし、普通に買い物をしてレジでお金を払っているわけです
から、万引きしていないは事実なのです。間違いない。
だから「やってませんし、何言ってるんですか? レシートありますよ!」と間違いないことだけを自信
満々に主張するのです。間違っているのはそっちでしょ!とやってしまう。私は悪くありませんよ!となる
のです。当然と言えば当然ですね。しかし、この「当然」という部分に落とし穴があるわけです。
そもそもGメンに呼び止められるということは、疑わしいと思われてしまう行動をとっていたのかもしれま
せん。しかし、そんな事を振り返ろうともしないで、自分の正当性ばかりを主張するわけです。
このような姿が傲慢なのです。少しでも自分に誤りがなかったのか?などと自分を疑うことをしない。
自分を疑うことを忘れた態度です。
Gメンに呼び止められたら、私の何が疑わしかったのでしょうか?と逆に自分の欠点を教えてもらう
姿勢こそが大事でしょう。教えてもらって、自分の悪い(疑わしい)部分に気づけ、より成長ができるので
す。傲慢な態度は、自分が成長する機会を最初から放棄してしまうのです。傲慢は人生の落とし穴です。
上記は例え話です。私にそのような疑われた事実はありません。
しかし、別の出来事で、私は自分の傲慢さを痛感させられることがありました。
その事を自身で納得した時に、私は膝から崩れ落ちました。傲慢な自分を知ったのです。
私の人生の中でも自分の傲慢さに気づけたことは衝撃的すぎました。
しかも、これは自分で気づきたくて気づくことが出来たものではないのです。望んでないし。
問題がこじれにこじれて、その追い込まれた果てに、やってきたことなのです。
そういう意味では、人生、こちらが望んでないのに、大きな試練は、向こう側からやってくる場合もあって
思ってもいない事って起こるんだな!と、まさに不思議を感じ入るのです。