日記

後輩との関係①(私の学生時代)

こんにちは 副住です。
今日も相変わらず寒いですね。
予報では寒気が抜けるので、平年並みの気温に戻ると言ってましたが・・・
昨夕後輩から嬉しい報告メールをいただきました。
名古屋にあるお寺に入寺することになりました!との報告でした。
後輩は、大学院時代の後輩で、変わり者で、いいやつなのです。顔は怖いんだけど。
さて、この後輩とのエピソードを紹介する前に、私の話を少し。
私は京都の龍谷大学という大学(文学部の真宗学科)に行きました。
大学まで勉強ができず、受験も苦しみ一浪も経験してます。
ようやく大学に合格し、あとは悠々学生生活を満喫するはずでした。
しかし、たまたま大学の授業で ある教授が
「君たちはお寺の息子に生まれ、親から龍大に行け!といわれてここに来た人が多いんじゃないですか?そういう人は今すぐ大学をやめなさい」というのです。
(龍大は浄土真宗本願寺派の学問機関から派生した大学なのです)(本願寺派のお坊さんになるなら 龍大の真宗学科を勧めらる為、この学科はほとんどがお寺出身者)
私は衝撃を受けました。せっかく大学に受かったのに、この人何いってんだ!?と。ある意味笑いました。
しかし、教授は続けて「人生は一回なのだよ。やりたくもないお寺を継ぐ為、おおよそ龍大に入れと言われたんだろ?」
「そんなことよりも、やりたいことをやるべきなんじゃないんですか?」・・・
考えたこともなかった理屈に、ある意味納得もさせられました。
教授は、お寺をするなら 本当にやりたい人がやるべきなんだ!ということを言いたかったのでしょう。
この教授が後に私の指導教授となるのですが・・・
さて、その教授の講義の後、僕のやりたい事って・・・???何???
と頭の片隅につねにつきまとう事に・・・
数年後、結局やりたい事が見つからず、親やご門徒の期待を裏切ってお寺を飛び出す勇気もなく困り果てました。
そうしてある解決策を見出すのです。
それは、今与えられている お寺を継ぐという環境。これに納得できるかどうかを考えよう!と思ったのです。
そこで、これまで勉強などしたことない私でしたが、この教えは何を伝えようとしているのか?勉強してみよう!と思ったわけです。
もし、結果 教えに納得ができなければ、これはお寺をでる口実になります。住職にもご門徒にも大義名分が示せます。
そう思いながら頑張りました。これまで勉強などしたくもなかったのですが、人生(命)が掛かると変わるものです。
勉強中は専門用語ばかりの本が読めませんでした。毎日辞書をひいて、その辞書にも書いている意味がわからなくって さらに辞書をひらく。
こんなことの繰り返しから始まりました。しかし、人生がかかると不思議なものです。眠くもならないし、必死でした。大学4年生の事です。
1年間図書館に通いました。毎日最低7時間勉強しました。しかし残念ながら、私は1年間では教義の断片も理解できませんでした。
ならば、もう一年。そう思い大学院(修士)を受験しました。
大学院に進み、半年目のことです。これまで諦めずに読んできた本『中観と唯識』(長尾雅人著)に書かれてある内容に心底頷かされました。
仏教の基礎がようやく心で頷けた瞬間でした。仏教は、納得できるできないというレベルを超えたものでした。
(しかしこの本、難しすぎる。一行を理解するだけでも数時間かかったこともありました)
この感覚を伝えようとすれば、例えが悪いですが
皆様は息していることを納得しますか?と言われたらどうでしょう?
もちろん、納得するのでしょうが、より厳密に言えば、これは納得するとかしないとかではなくて、事実そのものでしょう。
仏教の言っていることは、これと似ていて、事実そのものなのです。もっというと真理。
仏教、凄いよ!凄いよ!本当に凄いよ!気持ち悪いほど凄いよ!
必然的に・・・→こんな凄いことって、伝えないといけないんじゃないの!?となるわけです。
それから、完全に仏教にはまりました。
その後、大学院の博士課程に進学します。
私が博士課程の1年生に入学した、ちょうどそのとき、修士の1年生としてゼミに入ってきた後輩がいました。
その人は早稲田大学をでて、龍谷大学の大学院(修士)に入ってきた人なのです。
続きは明日。