こんにちは 住職です。
昨日はとても寒い一日でした。それに比べれば、今日は晴れてて陽射しもあり、空気は冷たいけれども
暖かい日と言えるでしょう。12月にしては・・・という意味です。
さて、今日はご法事が勤まりましたが、夕刻には私の祖母の23回忌法要が勤まります。
お寺では、当然ながら身内のご法事も勤まるのです。
23回忌ですから、22年前に亡くなったということですね。私が現在44歳ですから、
私が22歳の時に祖母は浄土に往生されました。当時、私は大学4年生(一浪してるので)。
ちょうど、大学院を受験するか!という時ですね。
私は大学4年生になった時から、本格的に勉強を始めたのです。
大学3年の終わり頃に、4年生になったら本格的に勉強開始だ!と決意したのです。
東進ハイスクールのCMで有名になった林修先生の「いつやるのか? 今でしょ!」というフレーズは、
本当にその通りだと今は思いますが、当時は「今からやる!」と言わずに、「大学4年になっ
たらやる!」という意識だったのです。
まぁ、それでもやったわけだから、「本気だったら今からやるだろ!」という正論も、場合によっては
異なるケース、つまり「明日からやる!」という事だってあるのです。経験者は語ります(笑)
そんなわけで、大学4年生になってから、勉強をスタート。
それまでは勉強なんてしたことなかったので、まずは1日机に座ることに慣れる所から始まったのです。
思い出しますね。朝9時に図書館に入って、勉強を開始。当初は夕方の17時まで勉強を続けることと決め
ました。何の知識もなかったのですが、取り敢えずお経を(漢字ばかりで読めないし、参考書を頼りに)読
む。つまり、お経の意味を勉強する。お経に書かれてある内容を理解したい!との思いで続けました。
しかし、専門用語ばっかりなので、仏教語辞典を開く必要がでてきます。
しかし今度は、そこに書かれてある日本語の意味が厳密にわからないので、今度は国語辞典を開く。
(因みに、真剣に勉強しようと思うと、意味をしっかり理解しなければいけないので、適当な理解ではNGな
のです。だから、国語辞典で日本語も厳密に調べるわけです)
しかし、国語辞典の解説の中にも、意味が曖昧に理解していた言葉などがでてくるのです。(普段、どれだ
け適当な日本語を操っているのか!?と思わされました。今もそう思っていますが。)
国語辞典に解説されている言葉の厳密な意味が、理解できないこともしばしばありました。だからこそ、再
び国語辞典をひらく・・・勉強を始めて半年くらいは、こんな状態でした。
お経の現本を開いて、そこの部分の解説書を開いて、解説書にある専門用語がわからないので、仏教語辞典
を開いて、そこに書かれてある日本語の厳密な意味を求めて、国語辞典を開く。
つまり、一度に机の上には4~5冊(多い時は同時に7冊ほど)の本が開かれている状態でした。
こんな状態ですから、机の上は、大変な事になってました。大学の図書館ですからね。ある意味で注目集め
てたと思います。しかし、図書館にいる学生は、真面目な人や大学院生など優秀な人だろうと思いますから
ら、ある意味、周りの目は気になりませんでした。というか、周りの目なんて気にしている余裕なんてなか
ったですね。今でも当時の苦労というか、全然意味がわかんないじゃん!という苦しみが蘇ってきます。
今から思えば、当時の私は勉強の仕方もわからないまま、独学でよく頑張りました。
この件で、私は何事も苦労しないと前に進まない!と知ることができるようになったのです。
こんな状態を半年も繰り返していると、見たことがある専門用語が増えてきた!と思えるようになります。
解説書の頁をめくっても、段々と書かれてある意味がわかってきます。
勉強を始めた頃は、解説書の1頁を読む(意味を理解する)のに、1日以上かかるケースなんてザラでした
。よく耐えました。
祖母が亡くなった頃、私は上記のような生活を遂げていたのです。そんな時に、祖母の死があったのです。
勉強していることと祖母の死が、どこか交わるような部分もあって、不思議な感じでした。
しかし、この時はまだ仏教が説いているお経の表面的意味を理解することで精一杯の頃だったので、
祖母の死が、私の中で何となくでも、腑に落ちる!という状態ではありませんでした。
むしろ、悲しみや諦め、あるいは、何となく嫌だ!という思いが強かったことを思い出します。
祖母が亡くなった頃、私は仏教が説く教えが自分に納得できるのかどうかを求めていた頃だったのです。
勉強を続けて半年以上が経過してましたが、上記のような状態だったので、到底仏教の教えの内容を
判断できるほど理解ができていた訳ではなかったのですね。
ということで、この頃から私は大学院への進学を考え始めたのです。目的は大学院に入ることではなくて
、仏教の教えに納得できるかどうかの勉強時間の確保でした。正直、今から思えば、大学1年の頃から
そんな問題意識をもっておけよ!と思いますね。
あの頃から、22年が経過していると考えると、随分長い時間が過ぎてしまいました。
22年前の事ですが、私の人生の中でも特に頑張った時期なだけに、鮮明に覚えているものなのですね。
しかし、あれが22年前というのは、何だか信じたくない現実です。
この22年間は何をしてきたのだろうか?とも思えます(笑)