おはようございます。住職です。
今月は、私の時間が結構とれそうなので、読書を進めたいと思っています。
築地本願寺に出勤する日が何度かありますが、電車での通勤にするつもりなので、読書ができます。
名著と出会うと、大きな気づきにも繋がり、考え方などが深まります。
今回は、私の興味ある分野での名著と出会ったことで、改めて、私の考え方の広がり、あるいは深みがもた
らされているのです。心から「そうだったのか!」と納得できると興奮します。刺激的。
読書は基本的には嫌いなのですが、このような知的好奇心を刺激されると、熱くなってしまうし、興奮する
ので、このような部分はとても大事。私は熱っぽい性格なので、感情が高ぶってくるのです。
因みに今、私は個人的な仕事に取り掛かっているのですが、このような知的好奇心や考え方の深まりは、
そちらの方で活かすことができるのです。
読書をすることで、知的好奇心や自分の考え方の深まりがあれば、それはそれだけでも十分良いのです。
しかし、もしも得たものが何かに活かす事ができるのであれば、もっと良いと思ってしまうのです。
今回の私の読書は、奇遇にもそっちのようなので、かなり刺激的に受け止めています。
このような心境のど真ん中に居ながらも、やっぱり読書は嫌い。猛烈に楽しいんだけど、読むのって大変。
私は幼少期から読書をしてこなかったし、真剣に本を読むようになったのは、大学時代から。
さらに、本は専門書。それなので、本の流し読みができないのです。
一行一行ちゃんと理解して読み進めないと嫌なんです。読んだ気にならないのです。
だから疲れてしまう。今読んでいる本も、一行一行確認しながら、しっかり読んでいます。
内容が簡単な本であれば、それでも早くは読めるし、一日で読み進められる頁数も多くなりますが、
今読んでいる本は、専門書ではないけれど、知らない事が綴ってあるので、都度、ネットで意味を調べなが
ら納得しながら読み進めているのです。
例えばですが、「儒教」とでてくると、儒教って何だ?となってしまうのですね。
もちろん、お寺なので儒教については、知っていますが、詳しい内容までは知りません。
朱子学や陽明学の違いなども、あまり分かっていません。
こうなると、儒教って何だ?となってきて、一々それを調べないといけないのです。
こうなると大変。だいたいのところで調べも終えておきますが、時間がかかるし、読書が前にすすまない。
こんな状態になるので、一日で読み進められる頁数は、せいぜい50頁ほど。4~5時間ほどかかる。
今は学者的な生活をしていないので、適度に頭が疲れてしまうのです。
こんな読書をしているものですから、なかなか大変なのですね。
その代わり、一度熟読した本ですから、あの本に書いてあったな!と後からでも思い出すことができます。
これは熟読した甲斐がある部分。流し読みだと、たぶんそんな事も覚えていないでしょうから。
それにしても、人間って成長環境によって変わるものだとつくづく思います。
私は読書嫌いを公言していて、本など興味もなかったタイプでした。成人するまでそんな感じでした。
それが20代後半から今に至るまでに、専門書を含めてですが、私の書斎にはもはや1000冊ではきかない
んじゃないか?と思えるほどの本があります。もう残念ながら、本棚に収納しきれない状態。
私の書斎は、この建物の設計段階から、窓以外本棚にしてください!とお願いし、実現されているのです。
しかも、本を前後におけるように、棚の奥行を深くしてもらっているのです。
書斎ができてから、今に至るまで15年近く。とうとう埋まってしまうこととなりました。
今では、狭い棚の部分を写真にとるとこんな感じなのです。前中後と三列にしています。入らないから。