ミヤネ屋

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今日はこれから 浦和に講義をしに伺います。
午前の授業なので、終わり次第帰宅し、お医者さんへ。
(妻が発熱、喉の痛みを訴えているので、お医者さんへ行く予定です。耳鼻咽喉科。)
その後、日テレの「ミヤネ屋」さんを見ようと思ってます。
お時間のある方は、見てみたらいかがでしょう?
取り上げられるか未定ですが。

第2次安倍改造内閣

投稿日: カテゴリー: 日記

こんばんは 副住です。
今日、第2次安倍改造内閣が発表されました。
石破さんの行方を私は気にしていました。
新設の地方創生担当相に就かれましたね。
当初の噂では、安全保障法制担当相への就任も取りざたされていました。
石破さんは辞退との噂もあったし、私も予想できたので、首相との関係がどうなるのか?と思わされました。
おそらく私の適当な予想ですが、安保に関しては、私は石破さんと意見が近いんだろうな的に勝手に思っています。
安倍首相は、私よりもかなり積極的安保そうなので、若干怖い。
そこから考えれば、きっと石破さんは安倍首相よりも消極的意見なのではないか?と想像してます。
だからこそ、噂ですが 首相と意見が違うと断ったのだと思います。(もちろん首相の座を狙ってのことだとも思いますが)
安倍首相になって、ようやく首相が安定しました。
これはとても良いことだと思います。
小泉元首相以後、コロコロ変わりすぎの首相では、日本の政策は一貫しないし、安定しません。
ようやく安倍首相で安定したことはよかったと思います。
だからこそ、石破さんと安倍首相が対立することは、日本にとっても危うい傾向だったかもしれません。
地方創生担当相となると、地方に強い石破さんは引き受けやすいポストだったのかもしれません。
(もっとも新設のポストだから、どの程度のものになるのか未知数ですが)
ただ、地方の成長を推進する方向で政治が動いてきていますので、石破さんの力のみせどころとも受け取れます。
いずれにせよ、石破さんには注目したいと思っています。

お寺の未来 大谷派と業務提携

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
今日は久しぶりにいい天気。残暑の気配を感じる朝です。
しかし、お寺も宗派をあげて経営をしっかり考えないといけない時代なのですね。
京都新聞 8月25日 夕刊
京都新聞の夕刊にでていたようです。
私も通った「未来の住職塾」(お寺の未来)が、大谷派と業務提携だそうです。
「未来の住職塾」は私もおすすめします。これからのお寺には、大切なことを教えてくれるからです。しかし、大谷派がいち早く業務提携するとは、驚きました。
凡そ保守的である伝統教団が、このような業務提携をするというこの現実は、それだけ地方のお寺が衰退している現状を意味していると私は理解します。
だからこそ、単発で各お寺の住職レベルが、この塾に参加することは、当然あることだと理解していましたが、まさか宗派をあげて業務提携とは、個人的に驚きです。
しかし、私は良い意味での動きであると理解します。
宗派をあげての ある意味の教育ですから その動きがあってこそ、保守的な住職は重い腰をあげることができます。
良い成果がでてくれば、お寺がますます元気になれますからね。
因みに西照寺は本願寺派です。お寺の未来代表の松本さんも本願寺派。
それなのに、なんで最初のオファーが大谷派なの?

出会い

投稿日: カテゴリー: 日記

こんばんは 副住です。
ついに今日から9月ですね。
子供も学校が始まりました。
因みに9月は私の誕生月でもあります。38歳となります。
さて、私にとっては、思い入れのある月の始めとなりましたが、今日はある方を通じてご縁を頂戴したイスムの社長さんとお会いしてきました。
イスムさん
仏像を展開する会社さんです。とても雰囲気のある心落ち着く仏像を販売されているのです。
こちらの社長さん、お話を伺うととても興味深く、勉強になりました。
これからも色々と学びを深めさせていただこうと思っています。
もちろん、イスムさんと西照寺、あるいは社長さんと私で、何か社会の為になることができたらいいなと思っています。
初対面なのに、2時間以上 私に色々とお話くださいました。
とても有意義で楽しいひと時を過ごせた月始めとなりました。

埼玉組 会議

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
昨夜は友引前ということで、お寺ではお通夜が入らない日となります。
(友引は火葬場が休みなので、友引前というのはお通夜が入らないのです)
ですから、お寺業界?では予定が立てやすい友前に、会議や研修会などがセッティングされることが多々あります。
昨夜は土曜日であったのですが、埼玉組(埼玉県内の浄土真宗本願寺派寺院が集い結成された組合みたいなもの)の役員会が行なわれました。
夜ですので、食事をしながらの会議となりました。
一つ一つの議題について、今後の方針や展開について真剣な議論が展開されました。
気が付けば、会議開始より4時間が経過していました。
議論が白熱すると面白いですね。(もちろん、もういいだろと考える方もおられるでしょうが)
一人一人が真剣に向き合えばこそ、色々な意見がでてきます。
大切なのは、他の意見に耳を傾け、総論として歩み寄ること。
組織ですから、歩み寄りは大切なことだと思います。
そういった意味では、実りある会議(結論は先送りとなりましたが)だったと思います。

私たちは知らないところで「お金に支配されている」

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日も薄い内容で恥ずかしいことですが。
世界にはお金が余っているようです。先進国は国債を増していき、金融緩和を行って世界にお金を増やしている。
増やされたお金は、中国やブラジル・インドなど今発展している国に流れていく。(つまり勢いがある国に流れる)
お金は成長していく場所に流れては増え続け、雪だるま式に大きくなっているようです。
ですから、たくさんのお金を投資できる方は、どんどんお金が増えていくでしょう(失敗しなければ)。
人間の欲望的に、お金は増やしたいけど、減らしたいとは思わないのです。だから投資できる人は、ますますお金を増やそうと動きます。
また、極端なお金持ちになると、個人なのに、世界経済に大きな影響を及ぼす人も現れます。
例えば2010年に起きたユーロ危機。2009年にギリシャ政権が交代したのですが、
それまでの政権が国の借金を著しく低く隠して発表してきたことが、政権交代によって明るみになりました。どうして隠してきたのかと言えば、国の経済状況が悪くなるかもしれないから。
それが、政権交代を契機に、明るみにでてしまった。
そこで国債の格付けをしている会社が、ギリシャの国債のランク付けを下げ、市場より債務不履行(利息の不払い)の不安が高まって、ギリシャ国債は信用をなくし、財政破綻の危機になりました。
これを引き金とし、財政状況の悪いスペイン、ポルトガルなども不安視され、欧州危機となりました。
ギリシャもスペインもポルトガルもすべてユーロ圏となってます。だからお金はすべてユーロ。
こうなると、これまでギリシャやスペインなどの国債を買っていた方(他国の銀行や個人投資家など)は
「利息も払ってもらえないほどの状況かもしれない。だったら貸したお金も返ってこないかもしれない・・・早く手を引こう」となって大量のユーロが売られることとなります。
ユーロが安くなります。
ただし、ユーロ加盟国には、経済優良国のドイツがいます。
ユーロが安くなると、ドイツは輸出が伸びるので喜ばしいのです。
そんな流れを予測できる、投資家はドイツの会社などにお金を投資します。
ドイツの会社が成長すれば株価は上がって、莫大な投資をしてきた人は、株価があがったぶん、お金が増えます。
・・・(たぶん、そんな仕組みなんだろうと思ってます。もっと勉強しないといけませんが)・・・
こうなると、ギリシャ国民は泣いているのに、その影で祝杯をあげている人がいるという構図も理解ができます。
つまり、世界のなかで大量のお金を動かせる人は、損をしないために動き、お金を増やすために動きます。
そうなると、成長分野にお金は流れます。当然です。しかし先進国はある程度成長をしてきてしまったので、
なかなか成長分野が見いだせません。むしろ、先進国は退化をしないように、借金を増やしてまで成長を続けようとします。
やがて、その国の借金は、市場によって評価を下げられ、通貨安となってしまいます。
通貨安が起きれば、その国の国民は大変です。インフレが起こります。
しかし、投資家は通貨安が起きたことで、あらたに成長分野ができるので、そこにお金を流してお金を増やします。
これを逆手にとれば、極端な大きな投資家は、国債が多くて不安定そうな国を見計らって、破綻に追い込むことができるのではないかな
と個人的に思ってしまいます。もっとも、日本が破綻するとなると、その影響で他国も多大な影響をうけるでしょうから、そう簡単にはならないと思いますが。
そのように考えると、私たちは知らないところで「お金に支配されている」ということが言えるでしょう。
極端な話、日本が財政破綻(金融破綻)したとしても、生活はできるだけの仕組みを築いていくことは、ある意味の安心につながるのではないかと思います。
お金がなくても、食べ物を分け合える。お金がなくても、助け合える。お金がなくても、支え合える。
そんな仕組みは、人と人との結びつきだと思います。
そういった意味では、地域共同体の再構築は、ある意味の保険です。
地域共同体のシガラミが嫌で都会に集まることが良しとされてきた時代もありました。
まさに日本の成長期。お金が入ってくる時代だったのだろうと思います。お金と引き換えに地域共同体を崩壊させました。
しかし、ある程度成長してしまい、お金が入りずらくなった時代。今度はお金と引き換えに地域共同体の再構築が必要なのかもしれません。
一度壊れたものは、元通りにはなりません。ですから、新しい地域共同体の構築が必要ですね。
これまでの共同体は、地域という住んでいるエリアが近い共同体だったと思っています。
これからの新しい共同体は、「志」「価値観」が共有できる共同体なのではないかなと 個人的には思います。
「志」「価値観」と書きましたが、これは人生という物語の「志」「価値観」という意味です。
それが提供できるのは、お寺だ!と僕はいいたい。

世界にはお金がジャブジャブ余ってる

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日も秋の気候を思わせる陽気です。
さて、昨日の続き。
日本では、ずいぶん前から国家予算を国債で賄うことで、色々な政策を実行してきました。
アメリカもそのようです。
現在の日本は国債が1000兆円を超えています。
今の日本国の年間予算は約100兆円。
内訳は税金収入などによって約50兆円。10兆円が他収入。
残り約40兆円が国債。つまり借金のようです。
財務省 一般会計
年間40兆円も借金して賄っている。これまでの借金の総合計が1000兆円を超えているのです。
だれに借金しているのかと言えば、国債を購入する銀行や国民、あるいは外国人投資家などでしょうか。
借金するには、貸してくれる人に利息を払わないといけませんから、1000兆円もあれば、利息だけでも莫大な金額です。
今や借金の利息を払うために借金をするくらいの状況です。このまま続けば、貸し手に信用をなくし、日本国の信頼がなくなり、
これ以上の借金ができないばかりか、円が安くなって、輸入品は高騰(つまりガソリンや石油などは値が高くなるでしょう)。
今までの生活と同じようにはいかなくなります。日本は食料の自給率も低いので、深刻な問題ですよね。
(日本国の借金の最終的な責任は国民です。今や国民一人あたり1000万円の借金を抱えているような状態です。この借金を返すのは、未来の税金です。つまり借金は未来の国民への負担なのです)
もっとも、日本の国債は銀行や国民の保有率が大きいので、今すぐ信頼がなくなるようなことはないでしょうが、
今後、外国人投資家の保有率が高まるにつれ、信頼崩壊に結びつく可能性は高まるかもしれません。
さて、そこでなのか知りませんが日本銀行の総裁に黒田さんが就任され、今までにない異次元の金融緩和政策を行いました。
その一貫なのでしょうか、日本の国債(長期国債)を日銀が買い増し続けています。
日銀は中央銀行なのでお金を刷ることができる銀行です。だからいくらでもお金がでてくる。
お金を刷って、出回っている日本の国債を買いましつづけている。
(そんなことができるんだったら、最初から国債を日銀が買っていればいいじゃないかという話ですが、どうやら、中央銀行が国から直接国債を買ってはいけない法律があるようです。だから、ウルトラCとして、すでに他に販売された国債を日銀が買い取るという仕方で、法律に触れない形で そんなことをしているようです)
このウルトラCの施策ですが、世界からどう思われるか?は未知の世界だとのことです。
しかし、うまいやり方だなと思いました。この施策がこの上ない成功となるのか、あるいはやはり転んでしまうのか、こればかりは結果論でしか
語ることはできないでしょう。
さて話を戻して、お金がジャブジャブという部分に戻します。
本来であれば日本では、実際の収入である税金など約60兆円のお金が一年を通じ世界に出回っていくはずです。
しかし、実態は借金をすることで、新たに40兆円のお金を生み出し、世の中に提供している。
簡単に言うと、世界の全てのお金に対し、一年に日本だけで40兆円のお金を増やしているということになります。
さらに、日銀が異次元の金融緩和を行い、これまでの長期国債を買い増し続けています。つまり借金を買いとるということで
新たにお金を刷って、世の中に提供しています。
こう考えると、現在、日本国だけでお金を沢山増やしていることがわかります。
だから、世界ではお金があり余っているのです。ジャブジャブということなのです。
でも、お金はあまっているのに、私たちの手元には入ってこないんです。
このあまったお金はどこにいっているのでしょう?
読書をしてみると、世界の一部の大金持ちが、さらに大金持ちとなっている。
あるいは銀行がお金をたくさん保有し、行き場を失っているとのことのようです。
結局、私たちが頑張っても私たちには廻ってこないので、私たちは「お金」以外の「何か?」に価値を見出そうとしているようです。
「お金」以外の価値を提供できる可能性があるのは、お寺だ!と僕はいいたい。

はたらけど はたらけど

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨日から涼しい・・・というか、今朝は寒いくらいですね。
予報では土曜日まで肌寒いようで、来月からはまた暑くなるような話をしておりました。
体調管理には気をつけたいものです。
(これからの季節は、気をつけていても風邪をひき易いので、体力をつけることに重きをおこうと思います)
さて、昨日の「経済」について、引き続き愚見を綴ってみます。
「経済」の素人ですが、素人なりに学んでみて、さらに現状のあり方などを体感したなかでの感想です。
今の日本社会は、長らく景気が低迷し続け、働く若者も「お金」に希望が持てなくなっているようにも思えます。
「はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり 」(石川啄木)のような言葉が身にしみる時があります。
(私も・・・(;_;))
私の場合、生活に困っているわけではありませんが、仕事が多くなっているのに、所得は増えていない・・・と思うことは良くあります。
(もちろん、贅沢な暮らしを追いかけているわけではないので、現状でいいのですが、仕事量(自坊以外の)が増えているのに、無給ということは結構あります)
そんな状況になってみた時、「会社の残業手当はでない」などのよく聞く話が脳裏をよぎります。
こうなってみると、働く意欲が減ってくるでしょうね。モチベーションの低下です。
その背景には、対価がないことが大きな要因であると思えてきます。
では「対価」とは・・・? きっとそれは「お金」なのでしょう。
現在の日本社会では、仕事評価の対価は結構「お金」になっているのではないか?と思っています。
では何故「対価」が「お金」なのか? 「対価」が「お金」ではなく、上司などからの「褒められる言葉」ではいけないのか?
これまでは、ダメだったように想像します。理由は「お金」によって「生活」が潤っていったからです。
しかし、少しづつですが「対価」が「お金」ではなくなりつつあるようにも感じています。
努力しても「お金」が増えていかない=何の為に努力してるのか?=だったら自分が納得できることをしよう。
このような方向性が少しですが、確認できるようになってきました。
例えば、二枚目の名刺
これは「お金」ではなく、「やり甲斐」を求める生き方を模索する若者がでてきたことを意味しているように思えます。
仕事以外にやり甲斐を見つけて生活する。仕事で最低限、生活できる賃金を得て、残りの時間は自分の生き甲斐の為に使う。
あるいは、好きなことを仕事にする。
特定の人物(尊敬や好意、あるいは魅力ある)についていき、その人の為に働く。
このような人々は、「対価」が「お金」ではなく、「仕事そのもの」であったり、「特定の人物からの褒め言葉」が「対価」となります。
もはや、「お金」の価値が低下している時代と言ってもいいかもしれませんね。
徐々に、若者から「お金」離れが確認できるような時代となってきました。
ごく少数ですが、このような人々が出現してきていることが、大きな現象です。
「お金」が手に入りづらくなることで、生き甲斐や働き甲斐を「お金」以外にみつけようとする流れが、今後大きくなっていくことも
想像できます。
しかし、日本の多くの人(特に若者)に「お金」は入りづらくなっているのですが、世界では「お金」が余っているのだそうです。
ジャブジャブなのだそうです。余りに余っている「お金」ですが、行き場所がないのだそうです。
逆に言うと、「お金」の行き場所に「日本の多くの人」が該当していないということでもあるのです。

月参り

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨日はブログ更新を忘れてしまいました。完全に。
このブログを始めて、かれこれ3年を過ぎましたが、今では日課のようになっております。
でも希に、更新意識が薄い日があるのですね。といっても、年間2日くらいだろうけど。
さて、昨日はこんな本を読んでいました。
__
私が大学4年生くらいだったでしょうか。
今後のお寺のあり方に漠然と危機感をもったのです。
その時は、京都のあるお寺で週末にお手伝いをさせていただいておりました。
各ご門徒宅の故人のご命日にあわせ、ご自宅のお仏壇の前で読経をさせていただくというものです。月参り(ツキマイリ)と呼ばれています。
例えば、お寺のご門徒が200件あれば、月に200件の月参りがある。ですから、平均すれば1日6~7件のご自宅に伺い、お参りをさせていただくこととなります。
もちろんご命日はそれぞれ違うので、実際は1日10件の時もあるし・・・というようなことです。
お寺では土曜日・日曜日にご法事が勤まります。そうなると、土日に住職は月参りに行けません。
ですから、住職の変わりに月参りをさせていただくという、ある意味見習いのようなお手伝いをさせていただいておりました。
(因みに、月参りにはスクーターで行きます。お坊さんの格好をして、フルフェイスでスクーターに乗って、袂をなびかせながら走っています。
私はその格好で走り、何度か雨で濡れたマンホールの上や、線路を横断しようとしたとき、タイヤが滑って転んだことがあります。
皆、お坊さんが大転倒する姿に、驚いて助けに駆けつけてくれます。私も恥ずかしいのですが、フルフェイスなので、すぐさま立ち上がり走り直します。
骨折などの大怪我はありませんでしたが、擦り傷や打ち身などは 結構ありました)
この月参りという形態は、月に1度、ご門徒のご自宅に伺うので、顔を見れるし、会話もできる。
何より大切なのは、一定の距離が保てるということです。
しかし、関東では月参りはほぼありません。
関東は、多くの方が働いており、また引越しをされたりすることもあり 月参りが定着しません。
(もっとも、自坊で月参りをしようにも、ご門徒の住んでいるエリアがバラバラだし、不可能に近いですね)
京都のような伝統がない地域では、生活のスタイルが違います。
皆、忙しいし、ある意味仏教が日常にありません。
そのような違いに気づき、お寺の未来に危機感をもったのです(もっとも、京都でさえも、伝統は薄れてきているのです)
日常生活から排除されつつある仏教は、今後この経済社会の中で、何を提供できるのか? お寺が生み出す価値とは?
そもそもお寺が提供するものに、定価はあり得るのか? 逆に定価がないとすると、いくらでもいいのか? それでお寺は成り立つのか?
などなど、問題は色々とでてきます。
それ以来、頭の片隅に「経済」という問題がでてきたのです。
もっとも、大学4年以降の数年は浄土真宗の教義について学びを深めることとなったのですが・・・
その後、お寺に戻って副住職に就いてからは、「経済」について少し学ばねばと思っておりました。・・・(でも手付かずのままでしたが)
2年ほど前に、「未来の住職塾」で非営利組織のメネジメントについて学ぶ機会があってから、「経済」のことについて(足りない頭で)考えるようになりました。
(住職になるのですから、色々と勉強せねばならないのです(;´д`) 住職って意外に大変なんですね)
最近私が考えていることは、この世界は「お金」に支配されすぎている。という問題。換言すれば、「お金」に影響されすぎている。
もちろん、「お金」は大切だし、必要です。
しかし、「お金」に私たちが支配されているように思える現在の世界の構図には問題があります。
私たちは無自覚に、「お金」に支配されてしまっていると気づいてきました。
もしかしたら、この世界は一部の大金持ちの方々が繰り広げるマネーゲーム(ある意味)によって、国の価値にさえも影響を及ぼし、
国の価値次第では、国民が大変苦労をしないといけなくなるというような構図なのかもしれません。
これが現在のグローバル経済の形だとしたら、私たちは ある意味の保険を用意しておいた方が生活に安心感が増すだろうなと思っています。
グローバル経済から完全に脱却することなどはできないでしょうから、グローバル経済の新しい形、あるいは保険を用意することが大切なのかなと考えています。
もしかしたら、それは昔日本でも営まれていた形に近いのかもしれませんね。
今日は漠然とした内容でしたが、明日も少し経済に関して綴ってみようと思います。

日曜夜の高速道路(東松山インターから上り)

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨夜は用事ができ、夜に高速を使って東松山インターから2つ先の鶴ヶ島インターまで行きました。
普段は空いてるはずなのに、昨夜は東松山インターを乗ってすぐ、渋滞に巻き込まれました。
__
日曜日の夜は混んでいるのですね。私は日曜日は、お寺でご法事があるので、あまり外出はしないのです。
ですから、夜に上り方面の高速に乗ることはほぼありません。ですから、この渋滞がとても新鮮でした。
もっとも、東京の自然渋滞と違って、車がほぼ動かないことはありませんでした。
普段は10分でいくところを、せいぜい20分かけて行った くらいのものでした。
今日はこれから、築地本願寺に向かいます。
会議があるためです。
車で向かうので、渋滞が気になりますが、順調に行ってくれるといいな。