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お墓の役割 その1

こんばんは 副住です。
新年を迎え、感じたことがあります。
それは、年末年始に多くの方々がお墓参りに来られ、
お墓を掃除したり、お供えしたり、家族親族一緒に来て
賑やかにお参りされたり・・・
やはり、お墓は故人と遺族がつながる場所。
人間は、死んで何も無くなるわけではないのです。
近年は、人間死んだら終わりなどと思う人や、
死んだら何も無くなるんだ!と思われる人も
増えてきたのかもしれません。わかりませんが。
でも、私から言わせれば、そんなはずはありません。
死んで何も無くなるなんてこと、あるわけありません。
そもそも、「無い」というのは、最初から「何も無い」状態
のことです。逆に「有る」というのは、最初から何かしらが「有る」
状態のことなのです。だから「無い」から「有る」に変化すること
はあり得ませんし
逆に「有る」から「無い」に変化することもありません。
何度もいいますが、「無い」というのは、最初から何にも「無い」こと
なのです。
見えないものから、見えるものへと変わっていくことはあり得ます。
逆に、見えるものから、見えないものへと変わっていくこともあります。
人間死んだら、今まで見える存在だったけれども、見えないものへと
変化していくのです。これは「無くなる」こととは違います。
その変化の過程で、私たちが見て確認できるのは「遺骨」なのです。
だから私たちは「遺骨」に、故人の全てを詰め込んで、大切にするのです。
「遺骨」が収まる「お墓」は、まさに故人そのものなのです。
だからこそ、お墓に足が向くのです。遺族で大切な日にお墓参りに来るのです。
故人とつながる場所こそが「お墓」なのです。
生前の時のように、会話ができるわけではない。
顔が見えるわけでもない。
でも、お墓があるから、故人を感じることができる。
お墓があるから、強くつながりを感じることができるのです。
故人は「思い出」ではありません。
故人は亡くなっても尚、生きている私たちと関係しているのです。
故人は過去のものではありません。現在も関係し続けているのです。
だって、故人がつないでくれた「命」を遺族が今生きているじゃありませんか。
換言すれば、故人の「命」を、今の私が生きているのです。
お墓はそのことを目にみえる形で表しているものなのです。
だからこそ、お墓は大切。
西照寺は、お墓を大切に考えているのです。