日記

難問

おはようございます。住職です。

西照寺では秋の彼岸会を終え、私は若干安堵した気持ちになっています。

お参りも多く、安心しました。皆さま、お墓参りも大事にしてくださいます。

私は日本文化にも興味があるので、日本人が先祖のお墓をお参りするという行為が

日本人として、あるいは日本文化としての意味でも非常に重要な要素を包含していると

考えています。これは日本人の考え方、あるいはアイデンティティを構築する上でも

非常に意味深い行為なのだと思っているのです。

単純に行為としてのお墓参りだけを考えれば、表面的な意味に疑問を持たれる人もいる

かもしれません。しかし、もっと奥深いことが、その行為の裏にはあると思います。

お墓参りはまだ伝統とまでは言えないかもしれませんが、少しだけ伝統に近くなってきている

ようにも思えてしまい、もしお墓参りが形骸化してきているとすれば、悲しいことだなぁとも

思っています。

いわゆる、伝統が抗えない点は形骸化です。そもそもの始まりには、意味と行為性がくっついて

います。それが長い年月を経る中で、意味が伝わらなくなって、形だけが残ってしまう。

形骸化です。形骸化すると、やがて人々は、これは何のためにやってるんだ?と疑問を持ち始め、

伝わらなくなっていくわけです。

お墓参りも、もしかしたら形骸化しつつあるのかな。と受け止められる点もあります。

それは墓仕舞いが増えたこと。もちろん、直接的にはお墓参りの形骸化が招いたことではないかもしれませ

ん。むしろ、お墓の跡継ぎ問題が顕著なのでしょう。あるいは、次世代に迷惑をかけたくないとの気持ち

もあるでしょう。でもそれらは間接的に、お墓参りにそれほど意味を感じられなくなっている人が増えてき

たからとも考えられます。もちろん、考え方次第ですが。

もし、そのように受け止めるならば、お墓参りの形骸化は始まっているのかもしれない!と、私などは

思うわけです。一つの可能性の話です。

だからこそ、お墓参りの意味、日本文化としての重要な行為性なんだ!ということを伝える事も重要です。

もし、共感してくれる人が増えて行けば、形骸化から抜け出せます。

しかし、それと同時に、既存のお墓が現代の人々のスタイルと合っていない可能性もあるわけで、

そこの問題点をどう解決できるのだろう?と、いわゆる現代に適応できる変化を生まなければいけないとも

思う訳です。これが難しい。古いものの良い点を残して、そうではない点を現代風に変えていく。

言うは易しですが、行うは難しなのです。私は常にこんな事ばかり考えながら過ごしているのですが、

才能がないので、なかなか前に進めません(笑)

ただ、今後は社会が益々変化していく中で、お寺だけ変化しないわけにはいきません。

社会の変化と適合させる意識は必要なのですが、それがなかなか難しい問題なのです。

私の代は、この難問と向き合って、チャレンジしていくだけなのです。