コロナ後みたいになってきました。

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おはようございます。住職です。

昨夜から涼しいを通り越して、寒いな!と感じました。

今日も雨で、日に日に気温が下がり、冬に近づいていきますね。

それにしても、だんだんと春秋が少なくなって、夏冬の期間が長くなって、ちょっと二極化。

過ごすには、心地よい春秋の季節が長い方が嬉しいんですが。。。

さてさて、そんな寒さが深まる中で、私は今月、色々と出向かなければなりません。

コロナに感染してしまった事もありますが、以前のような警戒感はすでになく、自分の中では、コロナ後の

生活になりつつあるのかもしれません。それと共に、急に外出の予定が増えたのが今月なのです。

今月は、遠方だと関西(和歌山と大阪)と山梨とに出向く予定があるのです。

コロナに感染する以前は、電車に乗ることも自分の中では避けていたし、東京に出向くことさえ、極力

避けていたのですが、コロナに感染以後、また社会的にも感染者が減ってきたことも重ね合わせ、

8月からは、東京にも普通に行くようになり、10月からは西日本にまで行く予定が立てられるように

なってきました。随分と、短期間ながら意識が変わってきました。

まだ、40代という若さもあるのでしょうが、オミクロンは重症化しづらいという事を身をもって

感じたからなのかもしれません。しかし、ご高齢者の方や持病をお持ちの方は、まだ気を付けられた方が

いいと思います。私、コロナに感染し、持病の咳喘息が併発したので、この感染症は持病を誘発し、悪化さ

せる可能性があるとは思います。その為、体力が落ちている方や、持病を持っている方は気を付けられた

方が賢明だとも思っています。

私は、今の所、そこまで気を付けるべき状況でもないので、少しづつ動き始めています。

当然ながら、私が感染して気を付けなければならない人たちに感染させてはダメなので、お会いする人には

気を付けています。

苦手を克服しなければ

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おはようございます。住職です。

昨日、お昼過ぎ位から、寒くなってきました。雨も降ってきました。

私は昨朝と今朝も、雨が降っていない間にwalkingを済ませたのですが、もう半袖ではダメです。

寒くなってきたので、長袖のトレーニングウェアの登場ですね。

可能であれば、明日と明後日とwalkingを続けたいと思っているのですが、雨が心配です。

いよいよ私の嫌いな寒い季節が迫ってきました。本当に嫌なのですが、仕方ありません。

寒くなり体調が芳しくなければ、冷気を吸い込むことで気管支が刺激を受け、咳喘息を発症するので、注意

が必要なのです。しかし、私はこの注意することが苦手で、ついついやりすぎてしまう嫌いがあるのです。

体調が疲れているのに、疲れていることを自覚できず、大丈夫!と判断してしまうのです。

その結果、体調が芳しくないのに、頑張ってしまい体調を悪化させる。私のパターンなのです。

それがわかってきているので、近年はもう、この季節は運動をしない!となってしまいます。

しかし、それでは本当はダメなのですね。適度に続けないといけないのです。

今年は、そこを意識して、無理せずとも、定期的なwalkingを続けることが目標なのです。

寒くなっても大丈夫なトレーニングウェアなどはあるので、あとは適度に続けることが大事。

適度なのです。やりすぎはだめ。

変化をみつける

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

今朝はwalkingをしていたら、私のマイコースに・・・

キンモクセイの花です。こんなに一気に散るのですね。驚きました。でも、一気に散ると、路面がオレンジ

色に覆われて、キレイです。キンモクセイはほのかな香りも良いですが、結構早く散ってしまうのですね。

桜とまではいきませんが、1週間程度のような気がしますが。。。

残念ながら、散った華から香は漂ってこなかったですが、朝からやる気をもらえました。

日々、同じコースを歩いているだけなのに、ちょっとした変化に気づけるようになってきました。

昔は、変化に気づけないで、いつも同じだと思えていましたが、最近は大人になったのか、自然の変化に

目が向くようになってきました。大事なことですね。

いつ死ぬかわからないから

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

今月は、出だしから精神的な意味でも、ちょっと落ち込みがあるのです。

知っている方が芸能人も含めて、ドンドンと亡くなっていく。特に今年は、それが多い年なのです。

お坊さんと言えども、知っている人が次々と亡くなっていく状況を前に、さすがに精神的に弱ってしまう

部分もあるのです。もちろん、弱ると言っても、落胆するという意味ですよ。

私がここで言う、精神的に弱ってしまうという意味は、落胆するという意味です。変なご心配は不要です。

落胆もしますよね。人間ですから。

さらに、この年齢になると、段々と他人の死が、他人事だと思えなくなってくる部分がでてきて。

私はまだ46歳だから、普通に考えれば、亡くなるような年齢ではないと思われるでしょうが、お坊さんを

やっている事も起因してか、私もあとどれくらい時間が残されているのだろうか?と、思ってしまうのです

。こんな事を思い出したのは、今年からかもしれません。それだけ、知っている人が次々と亡くなっている

のです。このような環境(今年のような次々と知人が亡くなる)の中にいるから、必然的に、そんな事を

考えるようになるのでしょうね。これまでは、どこか他人事に捉えていた部分もあったと、今だから

わかります。

そんな背景も手伝ってなのか、出来る事は、出来るうちに極力やっておきたいな!と思うようにもなってき

ました。

西照寺境内美化の正体 ご門徒Hさん親子

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

今日も素晴らしい天気で、厚いくらいです。

さて、西照寺の境内美化は、現在ご門徒Hさん親子様が担ってくださっています。

朝早くから来てくださり、本当にキレイに整えて下さるのです。

もう、10年まではいきませんが、それに近い数年努めてくださっているのです。

当初は、Hさんだけだったし、当然始められた時は、まだ慣れておられなかったわけです。

ご門徒Hさんが西照寺の境内美化部長として、御誕生される前までは私達親子が気になった時の

気まぐれ程度に清掃をしていたくらいでした。私はごみ処理や境内の掃き掃除がメインでしたが。

ご門徒Hさんがご担当くださることとなった当初は、まだ私の方が上手かったと思っていたのですが、

半年か1年くらいで抜かれました。その後、数年、こんどは御子息様も加わっていただき、これまで

西照寺では手が付けれらなかった、各お墓にお供えしてある枯れてしまったお花の処分まで、Hさん

親子の気持ちで今はやっていただいているのです。

別に私達(寺の住職など)がお願いします!と、ご門徒Hさんにお願いしているわけではありません。

Hさん自らの想いによってなのです。

それ以来、西照寺では、墓参に来られた方やご法事の後、お墓参りする際などに、お墓にお供えしたお花を

処分してくださっているようで、大変助かります。本当に有難いです。などの声が届くようになりました。

ご門徒Hさんに直接伝えてほしいな!と思いながらも、当然その時にHさんはおられませんので、願い叶わ

ず!なのですが、時々、私からもHさんにご報告させていただくのです。

さらに、境内はいつも綺麗に手入れなさっておられますね。大変でしょう。などと労いのお言葉も頂戴

したりもします。その時は、ご門徒Hさんという方がやってくださっているのです。と言うのですが、

ぜひ、Hさんに直接言って!とも思ってしまうのです。

そもそも、Hさんが境内美化を努めてくださっていること自体を知らない人が多いだろうし、

Hさん自体を知らないでしょうから、仮にたまたまお墓参り来ていたとしても、わからないでしょうね。

そうだ! だったら、Hさんにご相談して、西照寺の境内美化並びに、お墓の枯れてしまったお花の処分は

Hさん親子がやってくださっています!と掲示板にでも張り出してみようかな。いいアイデアだと思うけど

。最後に、昨日の朝Hさんが来てくださっていたのですが、その直後、本当に何も落ちていないほど境内

の道路は綺麗になっていたし、思わず、何でこんなにキレイにできるんだろう?と感動してしまった程でし

た。ぜひ、あの直後の状態を皆様にも見て欲しいと思いました。

もっとも、普段からキレイになっているのは、Hさん親子の日々の努力の賜物なのです。

こういったところに、日々の積み重ねってでるのですね。

特別な時だけ掃除をやるだけでは、平時からこのような状態にはなりません。

日々の積み重ねが、平時の時に顔を出すのです。

そういった意味では、平時の時こそ、その当体の状態がわかる!というものなのですね。

とても勉強になります。

コロナ前みたいに戻ってきました。

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おはようございます。住職です。

どうしたことでしょう。お彼岸前まで涼しい日が多かったですが、お彼岸過ぎてから

ちょっと暖かい日が続いています。こっちの方が良いのですが、walkingするにはちょっと暑いです。

さて、私は今日、午後から築地本願寺に出勤してきます。今日は事情もあるので、自家用車でETCカードを

忘れずに行ってこようと思っています。

来週も連日予定が続いており、予定表を確認してみると、私の10月は結構色々と出かけることとなって

いるのです。こんな遠方の外出も含めて、コロナ前の状況に近づいてきています。

コロナ禍で外出自体が減って、私的には嬉しい期間だったのですが、それが以前に戻りつつあります。

乗り切れることでしょうが、ちょっと遠方外出が増えると、疲れそうで不安な部分もあります。

もっとも、遠方の外出(仕事です)は、ちょっと気分転換にもなると思っているので、それはそれで

良いのですが、移動がね。

閉じ籠りたい私なので、そこが面倒に感じてしまいますね。

予定は予定。 読書も気軽に

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こんにちは 住職です。

今週は読書に専念するはず、できるはずだったのに、ちょっとしたトラブルや急な連絡も入るなど、

読書どころではない状況となっているのです。もちろん、できる時に、読書もしているのですが、

私の場合、読書はじっくりと、ゆっくりと、が私の読書法なのです。ですから、一日中じっくりと

理解を深めながら読み進めないと読書をしたように思えないし、集中して頭に入って来ないのであります。

その点、今週は集中できそうな予定だったのに、トラブルも連絡も急に入ってくることに。

正直、トラブルに関しては自分で蒔いた種の部分が大きいので自己責任なのですが、急な連絡は私が

どうこうではないので、ちょっとそっちは驚きました。

そんな訳で、昨日はトラブル対応に時間を割き、今日は急な連絡に対して、その内容を受け入れることだけ

で終わっています。事が事なだけに仕方がありませんね。

さてさて、予定なんて所詮は予定でしかありません。いざ、その時を迎えたら置かれている状況が異なるわ

けですから、所詮予定なのです。その予定に捉われすぎてしまうと、予定通りに行かないことにイライラし

てしまうわけなのです。それを知っているし、気持ち的にも予定にとらわれ過ぎなくても大丈夫なので、

読書の予定は一先ず置いておくこととしました。

実は今読んでいる本は、『神の方程式』という本で、ようは物理の話しなのです。

例えば、ニュートンの万有引力の発見であったり、アインシュタインの相対性理論などについて書かれてい

る本なのです。ポイントは、理を発見した点と、理が数式となって表される点。

驚くことに、理は、きちんと美しい数式で示すことができる点にありました。

私は数学は高校一年生の時で終わっていて、その後は文系に進学する為、数1以上はやってないのです。

中学3年生の頃は、数学は平均よりちょっと上となっていたので、数学は好きだったのですが、

高校生の時、私の大学進学を考えると、そこは文系と言われ、数学はやらなくなったのです。

なので、数式をみてもよくわからないし、微分積分といわれても、なんのこっちゃ?と思うのですが、

それらは理に通じているというので、面白そうに思えています。

それにしても、『神の方程式』を読んでいる最中なのですが、アインシュタインの部分で、ちょっとよくわ

からないのが正直なところなのです。どうもアインシュタインは、重力とは、時間と空間の歪みからもたら

される力だとか言っているようなのです。(もっとも、私の理解が乏しいから間違った読み方なのかもしれ

ないのですが)

さらに、光には追い付くことができない!とか書かれてあるっぽいのです。

仮に光と同じ速さで、光を見たら、光は止まって見えるのではないか?との仮説を、アインシュタインはた

ててみたらしいのですが(私もそんな風には思います)、しかし、よくよく考えると、光の速さに近づいた

としても、光はその分、速くなっていって、結局どこまでいっても光には追い付けないことを

アインシュタインは知ることとなった!みたいな感じで、この本には書かれていると思えるのですが、

それが私にはさっぱり理解ができないのです。書かれてあることは、何となく理解できるのですが、

イメージが追い付かないというか、どうしてそうなるんだ?とか、色々な疑問がでてきてしまって

理解が追い付かないわけです。

アインシュタインは、どうも、この気づきから相対性理論が出来ていったと書かれてあるのですが、

相対性理論ってなんだ?と。(笑)

凡人の私からすると、やっぱりアインシュタインは天才なのだなぁと、この本を読みながら思いました。

この本は、理について、つまり物理の方程式について書かれてあり、素人でも理解がしやすいように

書かれてあります。とてもよい本です。

でも、じっくりと、しっかりと読み込まないと、流し読みするような本でもないし、完読するには

根気が必要な本だとも思います。なにしろ、数学も理科もできない私ですから、想像力が乏しいです

国葬当日なのに、デモって。

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おはようございます。住職です。

今日も良い天気。秋晴れとなっています。

私は午後からZOOM会議がありますが、それ以外の時間はフリーなので、読書を進めたいと思います。

さて、昨日は安倍元首相の国葬でした。私は、開式直前までは見ていましたが、その後は違う要件に

時間を使っていました。しかし、その後のTV報道で国葬当日に大規模なデモがあったことを知り、

さすがに悲しいというか、恥ずべき日本を垣間見たように感じてしまいました。

国葬決定のプロセスや、故人の実績に対する良し悪しなど、色々な問題はあるとは思うのですが、

それでも、故人を悼む場である国葬の当日くらいは、せめて死者追悼への気持ちや、それに配慮する

気持ちを持ち合わせてもいいのではなかろうか?と思ってしまいました。

反対の声をあげるデモや、旧統一教会との関係について、問いただすのは、国葬の前後でやればいい。

今回のように、さすがに国葬当日に反対反対って。

死者に対する弔意や配慮が微塵も感じられない状況に対して、日本人として残念に感じてしまったのです。

もちろん個人的感想です。

私は今回の国葬に関しては、賛成派でも反対派でもなく、どちらかと言うとどっちもどっちだな。

と感じてました。

安倍元首相が亡くなった事件をTVで見てしまったし、一連の経過の直後に、国葬と聞けば、あの時は

気持ち的にも理解できました。しかし、そこから時間が経過し、新たな問題が浮上する中で、気持ちにも

変化が起きてきました。

冷静に考えると、国葬決定のプロセスには問題もあるし、故人の悪い側面(旧統一教会との繋がりや、各種

制定の法案など)もある事がわかってきました。

ただ、それはそれ!として、国葬をするとなった以上、その当日くらいは、おとなしく見過ごすなど、

配慮があってもよかったんじゃないかな、と私は感じます。

やっぱり、死者を追悼するという気持や、仮に弔意がなかったとしても、それを尊重できるような心があっ

て欲しいと思うのです。段々と日本人の心も欧米みたいな感じになってきているような気もします。

価値観が欧米化しているのでしょうか。自己主張が強くなり、競争を勝ち抜くことに重きがおかれ

勝者と敗者のように二分化、分断が起こってしまう。

自身の行動を顧みることが少なくなり、自己が正しい!との慢心に気づけない環境となっているような

気もします。 昨日の国葬に際し、弔問者とデモの人々の数が同じくらいらしく、TV報道では分断がみら

れたと言われていました。

分断と聞くと、数年前、イギリスのEU離脱に際しての国民投票の際の分断がありました。

アメリカではトランプ大統領が着任する際に、白人とそれ以外のアメリカ人との価値観の分断が叫ばれてい

ました。

そして今回、日本でも国葬を軸に、賛成派と反対派の分断が報道されました。

意見や見解が二分するから分断となるわけで、対立構図ができあがってしまいます。

私は、この対立構図そのものの考え方が欧米の価値観だと思っていて、それが日本にも色濃く根付いてきた

ように感じています。ここがたぶん問題なのだと思っているのです。

もちろん、生きていれば対立構図はあり得るのですが、対立構図だけ、いわゆる相対の価値観だけだと

行きつく先が最終的な孤立化に向かいます。ここを乗り越えていく、あるいは上手に付き合っていく術が

これからの日本には必要となってくるのだと思うのです。

これが難しい挑戦なのですが、やらないとね。

本質の追及 日本オリジナルの武器を

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

お彼岸も終わり、ようやく今日から落ち着ける時間が取れそうです。

今日から少し、自分なりの学びを深める為、読書を進めたいと思っています。

大事なのは、事の本質を追求すること。私の場合は、宗教者として真実の追及となるでしょう。

おそらく、戦後の日本は、物質的豊かさを求め頑張ってきました。そして、一時期は世界でも

ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われる程の地位を獲得。経済成長と高品質を生み出す技術力を

有した国でした。それが、アメリカなどの戦略によって、徐々に日本は力を失うことになりました。

まったくの私見ですが、戦後の日本は、アメリカの価値観を受け入れながら、アメリカを追い求めてきまし

た。それはそれで良い部分もあると思いますが、しかし、一番肝心な日本らしさを軽視し、置き忘れてきて

しまったのだと感じます。どこに置き忘れたのかと言えば、過去にです。

アメリカは日本と比べ、歴史が浅いのです。だからこそ、歴史や伝統で世界と勝負しても、勝てません。

だからこそ、新しい分野で勝負をしてきました。知識を集め、科学技術を重んじ、それを活かすことで

アメリカは発展します。というよりも、そこを活かす国造りをしてきたのでしょう。国家戦略です。

しかし、日本は戦後、アメリカの背中を追いかけたのはいいけれど、国家戦略など持ち合わせていなかった

のか、あるいはアメリカの土俵のまま勝負しようとしたのか、いつのまにか、こんな弱い国家となってしま

いました。

もちろん、アメリカの背中を追いかけ、一時的には成功を遂げたかのようですが、長期目線でみれば、

勝負にならなかったわけです。

そりゃ、アメリカの土俵のままで勝負すれば、勝てるわけないのかもしれません。

そこで、大事なのは、やはり日本らしさだと思うのです。日本には歴史があって、過去の日本人が紡いで

伝えてきてくれた文化や伝統があるのです。長時間続いてきたものこそが肝心なのです。

なぜ、長期間続いているのか?と言えば、おそらく、その本質に真実に近い何かがあるからなのだと

思うのです。

真実に近いわけだから、いつの時代でも通じるわけです。だから続くことができる。

その本質を見極めながら、日本の文化伝統は培われてきたのです。

そこには、もちろん日本の自然環境などの影響もあるから、全世界で通じる本質ではない部分だってあるか

もしれません。しかし、長い事続いているものには、必ず真実とも言える本質があるのだと思います。

そこを見極めて、受け継いでいく。ここが猛烈に大事なわけです。

まさに、そこが素地となるからこそ、日本人としてのアイデンティティとなるはずなのです。

その日本人としてのアイデンティティを受け継いだ先に、アメリカの土俵を真似ることがあってもよい。

それぞれをアレンジすることで、アメリカの土俵のままではない、日本から捉えたアメリカ!が出てくる

のです。きっとそこにこそ、世界とも勝負できる武器がでてくるのだと思います。

しかし、誠に寂しきかな、戦後の日本は、そこに重きを置かず、過去に置いてきてしまったかのようです。

本来、日本オリジナルの世界にも通じる武器があったにも関わらず、そこに視点をおこうともせず、

単にアメリカの背中を追い続けてしまったかのように感じます。

これこそが、昨日のブログにも綴ったように、表面だけ立派に見えればいい!と考えてしまう偽物国家に

なってしまった大きな原因だと思うのです。

このまま偽物国家のままであったら、日本はやがて終わります。世界でも置いてけぼり。

活躍どころか、貧しくなっていくだけでしょう。

だからこそ、最後にまだ財産が少しでも残っているうちに、次世代の人々に大事な視点を伝えて

世界でも活躍できる人材を育成しないといけないのです。

私は、そんな事を思って、残された人生で私ができる事をやろう!と思っているのです。

まったく、出来損ないの私が、そんな事を思って活動しなければならないのです。

私よりももっと優秀な人ばかりなのに、なんで劣等生の私がこんなことをやらなきゃならないんだ!と

心底思っています。ちょっと誰か、本気でやってよ! 将来の日本の為にも、お願いしますよ。

本質を見失った国葬

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 住職です。

明日が安倍元首相の国葬なのですね。TVでは国葬反対など、世間の反応が報じられていました。

私は以前のブログで所感を綴ったのですが、国葬前日のこの雰囲気に対し、改めて宗教者として

所感を綴ってみようと思います。

そもそも、明日の国葬に対して、安倍元首相の死を悼む雰囲気では無くなってしまっていることに大きな

原因があると思います。

安倍元首相が銃撃され亡くなってから、反社会的団体旧統一教会との関係性が明らかになりました。

その後、自民党の多くの議員が、選挙運動を主軸に旧統一教会との関係性を深めていったことが明るみにで

ました。世間では、これが大きな問題となって、安倍元首相の死を悼む雰囲気は吹っ飛んでしまいました。

故人は生前、世間が知らないことを良いことに、こんな事をしていたのか!と、もはや元首相の生前の倫理

観や道徳観を失った行為を知って、さらにそれを自民党各議員にまで影響力を行使し、泥沼にはめてしまっ

たであろう、その生き方に不満と怒りを覚えて、多くの国民が怒っているわけなのです。

そもそも、国葬というのは、葬儀の事でしょう。

葬儀とは、葬送儀礼の略語です。葬とは、草の上に死体を置いてさらに草をかける。そこから葬という

漢字ができています。葬の字を見てください。一番下の升みたいな部分が、草を表しています。

その上に、死を置くのです。つまり、死体のことです。そして、その上に草冠があります。

こうやって、葬という字は、昔の死体の処理の仕方を表す語だったわけです。

しかし、葬だけだと、単なる死体処理みたいな感じになっちゃいます。

人間には、それができないのです。それが人間の自然な心なのですね。

人間は、単に死体を処理することができない。死体処理ではなく、丁重な行為をもって死体を弔う事を

始めたのです。ここに死体処理から「死を弔う」という人間ならではの行為が生まれたのです。

この弔う仕方こそが、儀式なのです。人類が昔から伝わってきた死を弔う行儀に従って、決まった行為に

則って死を弔う行為こそが、儀式なのです。

さらに、この儀式に宗教が結びついて宗教儀礼が出来上がってきました。

なぜ宗教が結びついたかといえば、死後についても触れ得るものこそが宗教が担っている領域だったからで

す。故人の死を弔う事と同時に、死後の安寧を願い、宗教儀礼が葬儀に欠かせなくなったわけです。

先日、エリザベス女王が国葬とされた際、キリスト教の儀式で行われました。イギリスの国教はキリスト教

だからです。だから国葬は必然的にキリスト教となるのです。国民は誰も疑問視しません。

この度の日本はどうでしょう? 以前は吉田茂元首相が国葬となったと言われますが、そもそも日本国に

国教はないのでしょう?政教分離なのですから。 

人類が葬儀を始めたのは、宗教の誕生よりも前です。ですから、国葬と言ったからといって、必ず宗教儀礼

である必要はないのですが、しかし、葬儀という以上、どうしても宗教性を帯びてくるものだと私は思って

います。しかし、日本は国が宗教を持っていない。神道でもないのです。だから、国葬といっても宗教性を

打ち出せないのですね。ここに現代としての大きな矛盾を感じざるを得ないのです。

そもそも、明治時代、唯物論者(全ての存在する物は、物としてあるだけで、霊魂などはない!との考え

方)であった中江兆民という方がいました。有力者です。

この人が、当時は亡くなったら葬儀が当然という時代に、私は無宗教なのだから、私が死んでも葬儀は不要

と言い出しました。中江兆民は国民からもよく知られた人で、政府に関係が深かった人物でありました。

そこで、実際に兆民が亡くなった時、国民はどうなるのか?と注目していました。

親交が深かった板垣退助が、困ったあげく、葬儀は兆民の意思に反するからできない。しかし、何もしない

というわけにもいかない!というわけで、告別式が生み出されたわけです。

告別式とは、「別れを告げる式」なので、葬儀ではない!との理屈です。

私から言わせれば、屁理屈みたなものに感じてしまいますが、取り敢えず、告別式が生み出されました。

別れを告げる式なので、式辞などを読んで、故人の生前の功績などを讃えることに主眼が置かれていきまし

た。死後の安寧などは介在しません。

このような本質を確認していけば、日本国が取るべき行動は見えてくるはずなのです。

私から言わせれば、国葬ではなく「国別式」でよいはずなのです。

国葬と言って、参列する諸外国の方々は、宗教儀礼の無い国葬をどのように受け止めるのでしょう?

まったく恥ずかしい限りです。

今の日本は、本質を確認しようともせず、形だけ立派にみえればいい!とのような姿勢で見せかけ国家

となってしまいました。

私も言いたくはないのですが、その姿勢は、当の安倍元首相ご本人の生前の生き様に反映されていたことが

この度の件で、国民にバレてしまったのだと思うのです。

その為、ここまで国民が騒いでいるのだと思えてなりません。

本来ならば、亡くなっていかれた方々に対して、敬意をもってお見送り、さらには、死後の安寧を願う弔問

行為は尊い姿勢だと思うのです。人間として、大切なものだと思うのです。

しかし、今の日本は、偽物国家。本質を確認もせず、あさはかに決断し、見せかけ上は立派な事を言って、

中身は何もない。現職首相は、「敬意と弔意でもって国葬を・・・」

「諸外国の弔問者にはしっかりとした礼節をもって・・・」「最後まで、国民には丁寧な説明を・・・」

いずれも言葉だけ。 こんな事を平然と進められては悲しくなります。

一国の首相であれば、一流の専門家のアドバイスが仰げるでしょうし、本質を確認する為の術だって

人脈や何やらでどうにでもなるように思うのです。そこを軽視し、自身の想いか、他の方からのアドバイス

かわかりませんが、軽々に決断してしまった結果が、今回の事態を招いた本質だったのかもしれませんね。

今回の件は、本質を把握してしっかりと事にあたらないと、とんでもない方向に行ってしまうという好例だ

と思わされました。

私も偉そうなことを言える立場ではありません。ただし、本質を大切にしていかないと、危険な事が起こる

んだなと思うのと同時に、このままの日本だと非常に危ない。二流国家、三流国家は目前となっています。

本当に大事な物事をしっかりと把握するような姿勢が、この国から無くなってしまっているような気がして

非常にこの国の未来が気になってしまうのです。

日本は歴史があって、素晴らしい文化をもっていて、力強いはず。世界をリードできるだけの潜在力は

持っているはずなのに。

そこに上手に、国の未来を決めていくトップの方々が導いていく責任があるはずなのに。

それなのに、反社会勢力に、選挙で力になってくれるから!みたいな自己の当選欲に負けてしまい、

挙句、国葬などの雰囲気では無くなってしまい、諸外国からみれば、非常に恥にしか映らないでしょう。

安倍元首相が外交で大きな成果をあげられてきた!と言うけれど、その功績も最後に傷つける結果に

なってしまっているような気がして、非常に何と言っていいのか、わかりません。

悲しい事ですね。