日記

お経をあげるのって、結構疲れるんです。

おはようございます。住職です。

段々と朝晩の寒さを実感するようになってきました。

それでも、もう11月目前なので、今頃この状態というのは、たぶんだいぶ暖かいのでしょう。

日中は暑ささえ感じますしね。今日も良い天気となりそうなので、日中は暖かくなることでしょう。

さて、ようやく土日が終わって、私はホッとできる日となりました。

この土日は、ご法事が多く勤まったので、私は特に神経が疲れました。

やはり、ご法事を勤めるにあたり、かなり気を遣いながら、しっかりと勤めさせていただこうと

思って望むので、読経の声の出し方やら、大金の叩き方やら、所作においては指先まで気を遣うなど

色々と気を張り巡らせるのです。姿勢も当然意識の対象です。

私なりの所感ですが、ご法事は1日3件まで勤めてしまうと、私の場合やはり声に違いがでてきます。

少し、声量が落ちるし、塩梅といって、いわゆるお経の節があるのですが、その音程にスムーズさが

欠けてきます。自分の中では、良くわかるのです。ですから私の中では、だいたい2件目が一番良い状態が

多いと感じています。一つ一つの動作もゆっくりと、しかし遅すぎず、丁寧に。

こんな事を心掛けていると、ご法事が3~4件続けば、疲れてくるのですね。しかも2日連続とかになると

。私は学生時代、教学の学びについては、それなりだったので、例えば、教えを伝えるという側面において

は、さほど苦手意識はないのですが、お経のあげ方やら作法に関しては、学びが薄いので、そっちの方が

苦手意識があります。もちろん、苦手とは思っていませんよ。むしろ、知らないことが多いと感じるわけで

す。だからこそ、気を張りめぐさせる必要があります。しっかりやりたい!と思うからです。

これまで少し習ってきたことを頼りに、意識を集中します。もちろん、先生側の視点からだと

全然まだまだと言われてしまうのでしょうが。

しかし、自分の中では、仏前に臨む姿勢にこそ根本がでると思っているので、そこの部分の心持は意識して

いるのです。だから疲れるのですね。非常に。

正直、肉体的な意味で、体力を使う疲労とは違って、やっていることは座って読経するだけですから、楽そ

うに思えるでしょうが、やってみると、とても疲れます。特に精神的な疲労感が大きいでしょうか。

あとは、声をだしますからね。

西照寺のご法事の場合、御本堂で30分程度読経を行い、その後10分弱の閑話。その後、墓前に行って

10分ほどの読経をします。一番大きな声を出すのが、御本堂での読経です。

ですから、ご法事が3件、4件となってくると、大きな声で読経している時間が合計で1時間半から2時間

になってきます。ある意味、ライブですよね。しかもマイクを使わず、BGMもないので、誤魔化しなんて

きかないのです。ですから、大きな声を出し続けることも、結構体力使うものなのです。

この土日は、西照寺の中で言えば、ご法事がたまたま多く勤まったのでした。

それなので、昨夜は疲れてしまい、今ようやくホッとできる状況となっています。

因みに、昨晩はまあまあの睡眠でした。何度も起きてしまいましたが、それでも今の状態は、さほど

眠気もないし、ボーっとしているわけでもないので、熟睡感はないけれど、さほど今日のコンディションに

影響は感じておりません。

頭もそれなりに回転してくれているようです。という事で、今日は最後の著書確認の作業をしたいと

思っています。あと一息!