教誨師大会

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こんばんは 副住です。
今年の6月に埼玉県で連区の教誨師大会が開催されます。
それに向けて、埼玉県の教誨師(30数名)一致団結して企画・実行しないといけないため、
各部門を設置し、部門会議や全体会議をこの一年をかけてすすめてきました。
いよいよ大会が迫ってきた中、本日第5回目の全体会議が川越少年刑務所にて行われました。
ここまで、それぞれの部門で煮詰めてきた内容や、議案を決議しながら、全体確認をすすめていきました。
細かい部分は、まだ詰めなければなりませんが、大きな流れは見えてきました。
私は初めてのホスト大会となるので、諸先輩から、よく「見ておくように」と言われています。
(川越少年刑務所の教誨師では、私が一番若手ですので、いずれ再度大会のホストとなった場合のことを見越して、よく見ておけと言われているのです)
(とても嫌です。責任重大だし、でも次回には忘れていそうだし)
そんなこんなで、他人事ではなく、流れを把握しておくことに努めています。
それにしても、今日も長い会議でした。
そもそも午前中に築地本願寺で、講座を終え、そのまま川越に移動し、昼食をとるまもなく会議・・・
しかも、先日まで連日で夜はJCの会議。昼間も組の会議や色々とあって さすがに心身ともに疲れ果ててます。
しかし、3月8日まではすべて予定が埋まっているので、正直凹んでます。
笑い事ではないのですが、何だかお尻が痛くなってきたような気がします。
疲れると、体の弱い部分にでるのかもしれません。

東松山から海老名まで 圏央道

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おはようございます。副住です。
忘れてましたが、先日(16日)鎌倉に行ってきました。
埼玉から鎌倉はこれまで2時間半から3時間ほどかかってたと思います。
16日は、昨年7月末に開通した圏央道という高速道路を通って、鎌倉に向かいました。
結論から言えば、西照寺から鎌倉までは、はやり2時間かかりました。
ただ、海老名(東名高速のSA)というところまでは、東松山から1時間で行けました。
これは驚きです。
圏央道が開通してなかった時は、東松山から海老名までは2時間から2時間半はかかったと思われます。
それが1時間でつきました。(時速は80キロから100キロで走ってました)
ただし、海老名から鎌倉までが一般道ということで、しかも海老名から周回して鎌倉に至るという経路なので、時間がかかりました。
地図上で海老名と鎌倉を直線で結べば大した距離はないのですが、実際は迂回していくようなルートしかない為、しかも一般道だったこともあって、
大した距離ではないものの、1時間ほどかかってしまいました。
今度行くときは、もっと効率のよいルートがないか探してみようと思ってます。
とりあえず、今日は西照寺から鎌倉までの時間と
圏央道を使うと、東松山から海老名までどのくらいでいけるかのご報告でした。

休み

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おはようございます。副住です。
昨日は夜に帰宅したので、更新が途絶えてしまいました。
雪が降るといいながら、積雪は確認できない今朝を迎えました。
今のところ、西照寺では小雨が降っている現状です。
先日も大雪注意報がでましたし、昨年の出来事があってのことでしょうか、少し天気予報も大げさな気がするように思います。
ただ、もし大雪となってしまう場合があったとしたら、「最初から指摘しておいてくれよ!」と思うのでしょうね。
勝手なものです。
今月は、雪予報(積もる恐れ)がでるたびにドキッとします。
積雪注意の報がでる度に、住職の顔がにやけます。
(住職は昨年のことがあったので、勝手に除雪機を購入したからです。その一件で、私と一悶着がありました)
住職もさすがに、今頃になってくると積雪を期待しながら、降らないだろうな。と感じているようですが。
それにしても、今も23区では積雪注意で交通にも乱れが・・・との報道がヤフーニュースで見られました。
これから雨が雪に変わるのかな?
私は今日、久しぶりに予定が入っていないので、休みということになりそうです。
今日は疲れているので、雑務もしない!
仕事と思えるようなことは何一つしない!と決めました。
住職も寺にいるし、万が一何かあっても、優先順位は住職→私としてもらえるよう、これから話ます。
そうすれば、95%くらいの割合で、私は休みになるはずなのです。
何がしたい・・・ということもないのですが、今日はとりあえず心身ともにゆっくりしてみようと思います。
(雪なんて降るなよ!せっかくの休みに除雪機なんか、動かしたくないんだから)

鎌倉へ

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おはようございます。副住です。
昨晩というか、今朝というか、猛烈な風が吹き荒れ、屋根が飛んでしまうのではないか?と思うくらいでした。
風の影響で3時頃目が覚めてしまい、風も凄くて、それからあまり眠れなくなってしまいました。
深夜というか、早朝というかの眠りが深いであろう時間帯に起きるくらい強い風でした。
というか、今年に入ってから強風の日が多くないでしょうか?西照寺だけなのか??
以前のブログに書いたかもしれませんが、本当に「強風」という言葉がピッタリの風が吹く日が多いです。
四六時中吹き荒れているわけではなく、数時間、風が吹けば強風。という日が多いのです。
西照寺では、ご法事の後、お墓にいって墓前のお勤めをするのですが、強風の頻度が高い気がしてます。
なんなんだろう?
さて、今日は遠縁にあたるのか?親族にあたるのか?
私の祖母の甥にあたる大伯父さん(というのか?)に自宅に来いと言われたので、今から出かけてきます。
大伯父さん?のご自宅は鎌倉にあります。先夏だったか?にも行ってきたのですが、その時は圏央道が開通してなかったのです。
しかし、その後、圏央道が厚木近辺まで開通したので、今日は圏央道を使って行ってみます。
おそらく、かなり時間的には短縮できそうな気がしてますが、どのくらいの時間で行けるのか?
圏央道がなかった時は、確か2時間半から3時間をみていた気がします。
いざ鎌倉!

49日の意味 満中陰

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こんにちは 副住です。
今日は日曜日で、ご法事が勤まりました。
昨年末、西照寺の役員のご門徒がご往生され、私も精神的に弱りました。
今日はそのご門徒の49日(満中陰)にあたり、ご法事の後、お墓にご遺骨を納骨しました。
私的には、とても早い気がします。
昨日は法話会でしたが、今でも 笑顔でヒョッコリ法話会やお寺などに顔をだしてくれるんじゃないかと思えてしまいます。
そもそも中陰(ちゅういん)とは、昔のインドでの思想(輪廻転生)から影響を受けてのものだったと思われます。
確か、私たち迷いの世界には精神的世界として四有(しう)という状態があるというのです。
四有とは生有(しょうう)・本有(ほんぬ)・死有(しう)・中有(ちゅうう)というものです。
私が生まれる瞬間を生有
私が生きている時のことを本有
私が死ぬ瞬間を死有
そして、新しく生まれ変わるまでを中有というのです。(中陰ともいわれます)
この生有→本有→死有→中有→生有→本有・・・・・・と迷いの世界が続いていくと考えるわけです。
その中有は49日間とも言われ、49日を満中陰と呼ぶのです。
つまり49日経過したので、新しい生をうけたことになるので、ご遺骨はお墓に納骨してもいいだろう!とのことで
日本では49日を期に納骨をすることが多いのです。(しかし、必ずその時に納骨をしなければいけないというわけではありません)
浄土真宗では、阿弥陀仏の救いによって、迷いの世界から仏様の世界に往くので、迷いの世界の輪廻転生というサイクルから抜け出す為、
49日や満中陰ということは、そのような意味では勤めません。あくまでも、中陰という風習が根強く残っているので、その縁をいただき
仏縁とし、皆で仏様をお参りするのです。
ただし、49日でご遺骨を納骨するには、時間的に短く、精神的に決意できないご遺族もおられます。そのような場合は、49日での納骨を無理にすすめません。
一方で、淋しいけれども、いずれは納骨をしなくてはいけないし!と言うことで、頑張って決意をされる方もおられます。
いずれにしても、納骨をすることは一つの大きな契機となり、遺族の生活も、納骨を期に変化していきます。
(あえて表現するならば、「前にすすむ」ということかもしれません。もちろん、皆が皆、前に進めているわけではありません)
そう考えてみると、49日で納骨をするという一般の風習があることによって、そこに助けられ、納骨を決意される方が多いのですから、49日(満中陰)は大切な機会であると思えます。

西照寺 法話会

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おはようございます。副住です。
本日は第二土曜日 西照寺法話会の日です。
西照寺別院にて行います。
西照寺 法話会会場
13時前後くらいから受付に人がいます。いない場合はベルがあるので、チンと押してください。
13時半からお勤め(正信偈)を皆で致します。
続いて14時から40分から1時間ほどご法話をいたします。
(正信偈の御文にそって、毎回ご法話をすすめております)
その後、お時間に余裕のある方で茶話会。
おおよそ15時半頃 散会となります。
もちろん、ご法話後、茶話会に参加せず帰宅される方もおられます。
自由なのです。「悪いなぁ」とか気にする必要はありません。そんな会です。

今日は自分を褒めてあげようと思います

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
今日は東京仏教学院の今期の最終講義。
今期も無事に終えることができそうです。
本日、試験問題も作成しましたし、これで残すところは試験の採点だけとなります。
だいぶホッとしてます。
さて、今月はまだまだ雑務が残っており、期限までに終わらせられるか不安です。
頑張れば終わるのですが、精神的な余裕がだいぶありません。
そんな中ですが、今日は築地本願寺新報(4月号らしい)に載せる原稿を書きました。
さらに東京仏教学院の試験問題を作成。
また、研究所への業務報告書を作成し、提出。
あと、今月末に紹介文章をかかねばならない『無知の壁』の第一章を読みました。
すごい。僕は自分を褒めてあげようと思います。
気分的に乗ってこないと、このような雑用ははかどりません。
(特に原稿を書く時に気分が乗らないと、文章の構成とか、表現の仕方などが上手くいかなくなります)
しかも、今日の私は全然乗っていない。
本来であれば、せっかく自由になる時間ができたのだから、気分転換に時間をつかっていたはずです。
しかし、なぜかわからないけど、気分が乗らないのに、原稿も書けたし、他の業務もはかどりました。
初めての経験です。
こんな時ってあるものなのだな。 とっても嬉しいです。
ありがとう。僕!

日本の現状は暗い気分かも?

投稿日: カテゴリー: 日記

こんにちは 副住です。
私は小さい頃からTVをあまり観ない人です。
もちろん、観たいと思う番組があるこを知れば、観たいとは思います。
でもTVがついてないと落ち着かないという人ではありません。
妻は学生の頃、一人暮らしだったこともあってか、「一人で家にいると淋しいからTVをつけてしまう習慣がついた!」といいます。
ですから、結婚後、TVが家でよくついている生活となりました。
もちろん、番組に見入ってなくてもTVがついている時もあるのです。
それなので、自宅にいるときはTVがついている率が高いのです。
ですから、私も観いることはありませんが、5分程度観たりします。
特に朝は、天気予報などを観てしまいます。
さて、過日ビートたけしさんが「第3次お笑いブームは終わった」とご発言されたようです。
もっとも「再度、お笑いブームが来るのは、10年先」という内容だったそうですが。
(検索してたら、記事がありました)
第3次お笑いブームは完全に終わった
私はお笑い番組は好きですし、笑いは体にも良いと聞いたことがあるので、その発言に「どうして?」と思いました。
しかし、最近の番組 例えば「ぶっちゃけ寺」などは、お坊さんの粗探しとかで笑いを誘発する番組ではありませんでしたし、
むしろ、お坊さんの素顔が取り上げられ、ある意味真面目な番組のような印象も受けました。
また、「お葬式特集」とか「夫もホンネ」に視点を当てた特集とか、今朝は「仮面夫婦」とかが特集されていました。
一部の特集ですが、ニーズがあるから特集されるのでしょうね。
そう考えると、「笑ってられない現状」があるのかなぁと思ってみたりします。
それと、たけしさんの話を組み合わせると、現在の日本の気分が判ってきたような気がしました。
実は日本はけっこう暗くなってきているのだな と思うこと。
私的なことですが、確かに以前よりも生活しづらくなりました。
忙しいのですが、忙しいといっても会議やら雑用やらがとても多く、報酬はほぼなし。むしろ出費の方が大きくなっています。
別にお金を求めているわけではないのですが、しかし、あまりに報酬(お金でなくても)が実感しづらいと、希に「どうしてこんなことやってるんだろう」と思う時もあります。
これが人間というものだと思います。お坊さんも人間です。
お坊さんでも、そんなことを感じるのですから、世間の方はもっと感じているはずです。
特にご婦人は余計に感じるかもしれません。
若い方には、仕事が増えるけど、収入が変わらない あるいは減っていく。 
そんな現状が日本にはあるのかもしれません。
お先真っ暗と考える人が増えているのかもしれませんね。
そう考えると、笑ってられない。
皆、蕁麻疹がでますよ!笑
日本の中に不満やストレスが高まっている現状かもしれません。
そんな今だからこそ、お寺やお坊さんの役割が大切になるのかもしれません。
心を落ち着かせる方法を、お寺でもっと主張する!あるいは提供していけばいいと思います。
一同に集まって、仏様の前でただ座っているだけでも 心は落ち着いてくるものです。

西照寺の歴史と永代供養墓へのこだわり (東松山市の永代供養墓)

投稿日: カテゴリー: 大谷浄苑情報日記

おはようございます。副住です。
今日は祝日、ご法事が勤まります。
昨日から住職が、実家の延浄寺に行っています。
延浄寺
住職の実家です。
住職は確か延浄寺の4男として生まれたのです。
(確か、というのは、昔は幼少期で亡くなる方もいて、住職の上か下の男の子が、生まれて間もなくして亡くなっているのです)
住職はお寺が好きで、よく父(西照寺住職の父ということ)と一緒にお参りに行ったようです。
しかし、長男ではなかった為、お寺を建立したく思い、たまたま後継者がいない西照寺を引き継いだのだそうです。
ただ、その時の西照寺は、有名無実化していたお寺であって、いわゆる本堂や敷地などはなくなっていたのです。
(詳細を綴ると、当時の西照寺住職がご門徒の連帯保証人となってしまい、騙されてしまったというわけです。昭和初期あたりの話のようです)
(昔の話ですから、お寺や敷地など没収されてしまったのですね。当時の西照寺の住職はとても人が良かったと聞いています)
(しかし、お寺の住職を騙してはいけませんね。連帯保証人になってしまったことも問題ですが)
西照寺に残っていたのが、聖徳太子などの仏像や、引き取り手のわかならくなったご遺骨(数個あったようです)、それと宗教法人西照寺だったようです。
(西照寺のご門徒は、他のお寺に移ってもらった方が大半だったようです)
そんな西照寺を現住職は受け継ぐこととしたのです。
有名無実化する前、西照寺は板橋区にあったようです。
それを住職が引き継ぎ、同じ板橋区の常盤台に移転(常盤台は、現西照寺住職の妻の実家)。
数年その地で励み、住職の実母の願いや縁もあって、埼玉県東松山市に昭和56年に移転してきたという形です。
因みに、西照寺の永代供養墓は、
現住職が西照寺を引き継いだ際、共に預かったご遺骨を納骨する為に設けたお墓なのです。
住職は、西照寺を引き継いだ時から、ご遺骨をしっかりと納骨したいと思い、平成5年(1993年)に立派なお墓を完成させます。
その時は、倶会一処墓と命名していたのです。
その後、世間では永代供養墓という名称が拡がっていき、また西照寺の内部でもお墓の後継者が絶えてしまうという問題がおこり、
倶会一処墓の内部を開放することとなったのです。
さらに近年、副住の意見を住職に聞いてもらい、永代供養墓として一般の方にも開放させてもらいました。
その時の住職から言われた言葉が「私たちの生きる時代を作り上げた先人のご遺骨を納骨するお墓なのだぞ。大切にさせてもらうこと」とのものです。
そこで、副住も考えました。
「先人は仏様の世界に往かれたのだから、内装を仏様の世界を感じられるものに改装しよう!」と。
ご門徒の協力を得て、現在内装を相応しいものに改装している段階です。
西照寺 永代供養墓
改装には時間がかかりますが、大切な場所だからこそ、私たちの手作りで進めています。
いずれ、完成したらご紹介させていただきます。

「池上彰が伝えたいこと 実はみんな知らない日本」を録画

投稿日: カテゴリー: 日記

おはようございます。副住です。
昨夜、池上彰さんのTV番組があったのですね。
そういえば、過日、番組紹介のCMをやっていたのを見て、これは見よう!と思っていたのです。
しかし、忘れてしまっておりました。
すると、妻が今朝、その番組をつけていました。
どうやら、録画しておいてくれたようです。
思わず「おお!録画しておいてくれたの?見たかったんだ!」と言ってしまいました。
妻はだんだんと私を、理解してくれてきたようです(笑)
(本当は、妻も見たかったのでしょうが)
後で時間がある時、見てみようと思ってます。
感想に関しては、見た後でお伝えしたいと思ってます。